上郡村(読み)かみごおりむら

日本歴史地名大系 「上郡村」の解説

上郡村
かみごおりむら

[現在地名]上郡町上郡

現上郡町の中央部、上郡盆地に位置する。西部を千種ちくさ川が南下し、北部で鞍居くらい川が合流している。主集落は合流点の南東部にある。竹万ちくまの住民が移住して開発、当初「上河原村」といったが、のち上郡村と改称したとの伝承がある(赤穂郡誌)。慶長国絵図に「上かうり村」とみえる。天正一五年(一五八七)宇喜多秀家領時代に上郡村と竹万・山野里やまのさと大持だいもち赤松あかまつ苔縄こけなわ大枝おおえだ・鞍居などの諸村は、長船越中守に知行地として宛行われていた(「播磨国知行割覚」那波家文書)。慶長五年(一六〇〇)池田輝政領、同一八年備前岡山藩領、元和元年(一六一五)赤穂藩領、元禄一四年(一七〇一)幕府領、宝永五年(一七〇八)相模小田原藩領。

上郡村
かみごおりむら

[現在地名]桑折町上郡

桑折村の東に位置し、東は下郡村、北は谷地やじ村、東は伊達崎だんざき村。北側は西根にしね台地、南側は阿武隈川氾濫原となっている。寛文(一六六一―七三)頃まで上郡山かみごおりやま村と称した。天文七年(一五三八)の段銭古帳に伊達西根のうちとしてみえる「上こほり山」「中こほり山」が当地に比定され、段銭はそれぞれ四貫六一〇文・一〇貫七四五文。「上こほり山」は現在おきとよばれる氾濫原上にあたり、新旧の阿武隈川の河道に囲まれ、鹿島神社を中心に屋敷地は道が直交し、碁盤目状の地割から一定の計画に基づき整備された都市的な集落であったとも推測される。

上郡村
かみごおりむら

[現在地名]亘理町逢隈上郡おうくまかみごおり

南は神宮寺じんぐうじ村、北は下郡村・小山こやま村、東は榎袋えのきぶくろ村、西は伊具いぐ鳩原はとばら(現角田市)。本村東北方椿つばき、東方に雁田がんた、西南方天王てんのうの字地がある。正保郷帳では田六三貫六二一文・畑四貫一七四文で旱損の村の注記がある。

上郡村
かみごおりむら

[現在地名]涌谷町上郡

現涌谷町の市街地から北方約七キロのところにある加護坊かごぼう(二二三・五メートル)の南麓に位置。田尻たじり(現田尻町)への道が通る。南方には江合えあい川および田尻川が形成した沖積平野が広がる。当村・下郡村は古代小田おだ郡衙の遺称地とする説がある。正保郷帳に村名がみえ、田二〇貫一九四文・畑四貫四六〇文で旱損と注される。「安永風土記」では田二一貫六〇一文・畑四貫五二〇文(うち茶畑二一文)で、蔵入二一文。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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