日本歴史地名大系 「西保末村」の解説 西保末村にしほずえむら 茨城県:真壁郡関城町西保末村[現在地名]関城町西保末小貝(こかい)川左岸の低地にあり、村の北で大谷(おおや)川が小貝川に合流する。西は広大な水田地帯を隔てて黒子(くろご)村・辻(つじ)村。中世は下妻庄黒子郷に属し、戦国時代は多賀谷氏の支配下に置かれた。慶長七年(一六〇二)多賀谷宣家が佐竹義宣に従って出羽へ移ると天領となり、同年一〇月に代官伊奈忠次によって検地が施行された。この時の常陸国河内郡内黒子之内穂末村御検地帳(渡辺源兵衛家文書)によれば、総計四十数町の田畑のうち約四〇町は「水押」と注記され、古くから水害に悩まされていたことを示す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by