西南院(読み)さいなんいん

日本歴史地名大系 「西南院」の解説

西南院
さいなんいん

[現在地名]高野町高野山

大門の東方、大門だいもん通の南側西端にある。本尊金剛界大日如来。準別格本山。寺伝によれば開基真然。高野山坤方の鎮護のために草創、空海筆大元帥明王を安置したという(当院院譜)中世には平等心びようどうしん院とも称されていた。平等心院は保延四年(一一三八)平等房永厳が高野山に隠退して西院さいいん谷に私堂を構えたのが草創と伝え(続風土記)、文治五年(一一八九)没官された西南院の境内地とその近辺の空地が平等心院の四至内と定められて九条兼実の叔父信助律師に付属されたことにより(同年八月「高野山西南院宛行状」西南院文書)両院は統合され、一体となったようである。

建久八年(一一九七)六月八日の関白家御教書(西南院文書)によれば、平等心院は九条兼実の娘宜秋門院の祈願所であった。嘉禎元年(一二三五)一二月三〇日の太政官牒(同文書)所引の平等心院院主賢定奏状に「当院者信助律師終土功之後、奉後法性寺(九条兼実)尊閤畢、其後相継為宜秋門院御祈祷、而星霜四十余廻之間、偏祈累葉繁昌之御運、公私三代之跡」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報