西原九兵衛(読み)にしはら・くヘえ

朝日日本歴史人物事典 「西原九兵衛」の解説

西原九兵衛

没年天保10.1.26(1839.3.11)
生年天明4?(1784)
江戸後期,信濃国(長野県)飯山藩領で起こった百姓一揆首謀者とされる人物。信濃水内郡浅野村生まれ。飯山藩御用達商人で苗字・帯刀御免,古屋または油屋と号し,小間物,太物,水油を商い,田畑200石余を所持していた。天保8(1837)年同村前庄屋の不正に端を発した一揆浅野騒動頭取として獄門となる。九兵衛が獄門となったことについては,九兵衛無実説,村内同族間の対立抗争説,藩や藩士借金帳消しをはかったとする説などがある。近年子孫から,牢内からの書状や江戸寛永寺林光院を通じた赦免運動の史料などが公開された。九兵衛地蔵がある。<参考文献>『新編信濃史料叢書

(小椋喜一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西原九兵衛」の解説

西原九兵衛 にしはら-くへえ

?-1839 江戸時代後期の商人。
信濃(しなの)(長野県)水内郡浅野村の地主。質商などをいとなみ,飯山藩御用をつとめて名字帯刀をゆるされる。天保(てんぽう)8年浅野(飯山)騒動とよばれる百姓一揆(いっき)の首謀者として捕らえられ,10年1月26日処刑された。処刑の理由として,藩当局が藩や藩士の借金の帳消しをはかったとする説もある。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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