西古賀村
にしこがむら
[現在地名]三潴町西牟田
西牟田本村の東に位置し、南は北牟田村(現筑後市)。本高は五四四石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」によると古高五四七石余・役高五二二石余。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高五二七石。文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田三四町九反余・開田二町三反余・畑田九反余・畑一五町余・居屋敷七反余、ほかに山一町四反余。旧高旧領取調帳の高五六〇石余。当地の高台には東から鳥越・十八・大坪・団内・今村・銭亀(旧宗津)・第一孫田・第二孫田・第三孫田・新・清導寺上・清導寺下の一二の溜池が築造された。清導寺下溜池は天文六年(一五三七)の完成と伝え、孫田溜池は寛永元年(一六二四)、清導寺上溜池は寛永二年、大坪溜池は天和三年(一六八三)の完成という。
西古賀村
にしこがむら
[現在地名]川副町大字西古賀字西古賀
八田江の東、南里村の東南に位置する。中世には河副庄に含まれ、弘安一一年(一二八八)沙弥某の高城寺(現大和町)への寺領寄進状(高城寺文書)に「西故衙」とある。当時西古賀は、干潟から荒地に移った頃と推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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