高橋氏(読み)たかはしうじ

改訂新版 世界大百科事典 「高橋氏」の意味・わかりやすい解説

高橋氏 (たかはしうじ)

膳(かしわで)氏系統を引く古代豪族。《新撰姓氏録》によれば,683年(天武12)に膳臣を改めて高橋朝臣の氏姓を賜ったという。この点に関連して,高橋氏を膳氏の支流とする説と膳氏の本宗とする説との両説がある。高橋氏は律令制の成立後は,膳氏が大化前代以来天皇供御に奉仕した実績を背景に内膳司長官である奉膳(ぶぜん)(あるいは判官の典膳)に任ぜられるのを常としたが,同じく奉膳として奉仕する阿曇(あずみ)氏との間に対立を生じ,とくに神事の際の行列の前後についてしばしば争った。ちなみに内膳司の長官の奉膳の定員が2名と定められているのは高橋,阿曇両氏の伝統的立場を考慮した結果と思われるが,それが両氏の対立の原因ともなった。791年(延暦10)新嘗の日に勅によって高橋氏が前に立つことを定められたが,奉膳阿曇継成はこれに従わず,職務を投げ捨てて退出したため佐渡へ流され,その結果阿曇氏は内膳司における地位を失い,高橋氏がこれを独占することとなった。《官職秘抄》に内膳奉膳は高橋氏中の人を選んで任ずるとあり,《詠百寮和歌》に〈高橋の氏に備るつかさをば猥りにたれか望わたらん〉と詠まれているのも,このような高橋氏の内膳司における独占的立場を示すものである。なお,内膳司のほかに高橋氏がとくに任ぜられた官職志摩守がある。志摩は御食国(みけつくに)(天皇の供御の料としての海産物を貢納する国)であったから,天皇の供御をつかさどる内膳司に奉仕する高橋氏が代々これに任ぜられることになったものであろう。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高橋氏」の意味・わかりやすい解説

高橋氏
たかはしうじ

古代の豪族。『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』に683年(天武天皇12)膳臣(かしわでのおみ)を改めて高橋朝臣(あそん)としたとある。膳臣は古く大王(おおきみ)の食膳を担当した氏族伝承では景行天皇の時代に始祖イワカムツカリが安房(あわ)で堅魚(かつお)と白蛤(しろはまぐり)を調理献上し、その功により膳臣の賜姓にあずかり、膳大伴部(かしわでのおおともべ)という部民を与えられたことに始まるとされる(『高橋氏文(たかはしうじぶみ)』、『日本書紀』景行天皇53年条)。律令制下で内膳司(ないぜんし)の奉膳(ぶぜん)(長官)に安(阿)曇氏(あずみうじ)と並んで任ぜられ、やがて同氏を圧倒して、膳職を独占した。高橋氏はまた志摩守(しまのかみ)に任じられることが多かったのは、志摩国が御食国(みけつくに)(天皇に供御料(くごりょう)として海産物を納める国)であったからである。

[狩野 久]

『伴信友著「高橋氏文考注」(国書刊行会編『伴信友全集3』所収・1977・ぺりかん社)』『吉村茂樹著『国司制度崩壊に関する研究』(1957・東京大学出版会)』『後藤四郎著「内膳奉膳について――高橋安曇二氏の関係を中心として」(『書陵部紀要11号』所収・1959)』『狩野久著「御食国と膳氏―志摩と若狭―」(坪井清足・岸俊男編『古代の日本 5』所収・1970・角川書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高橋氏の言及

【内膳司】より

…飛鳥浄御原令以前から存在した膳職が,大宝令により官人等の食事をつかさどる大膳職(だいぜんしき)と,内膳司に分立した。異例の長官2人制は,令制以前から供御をつかさどった高橋氏(膳(かしわで)氏の一族)と阿曇(あずみ)氏(海人を統率した)が相並んで奉膳に任ぜられるようにはかられたものか。他氏の者が長官となる場合は〈正〉と称した。…

※「高橋氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android