西園寺公重(読み)さいおんじ・きんしげ

朝日日本歴史人物事典 「西園寺公重」の解説

西園寺公重

没年貞治6/正平22.9.3(1367.9.27)
生年:文保1(1317)
鎌倉末・南北朝期の公卿。父は内大臣実衡。西園寺公宗異母弟。元徳3/元弘1(1331)年参議,のち権中納言。建武新政発足後の建武2(1335)年,兄公宗の謀反計画を密告した功績によって西園寺家家督となり,貞和5/正平4(1349)年内大臣となる。公宗の子の実俊との間で家督の往き来があり,文和1/正平7(1352)年の南北朝一統に際して家督が公重のもとに安堵されるが,一統の破綻により南朝に祗候することとなり,有力公卿として太政大臣に昇った。和歌は『新葉和歌集』に遍照光院入道前太政大臣の名で入集している。<参考文献>井上宗雄『中世歌壇史の研究―南北朝期』

(小森正明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西園寺公重」の解説

西園寺公重 さいおんじ-きんしげ

1317-1367 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
文保(ぶんぽ)元年生まれ。西園寺実衡(さねひら)の次男嘉暦(かりゃく)3年従三位にすすむ。建武(けんむ)2年兄西園寺公宗(きんむね)の謀反計画を密告した功で西園寺家の家督をつぎ,貞和(じょうわ)5=正平(しょうへい)4年内大臣となる。正二位。文和(ぶんな)2=正平8年南朝につかえ,太政大臣にのぼった。竹林院前内大臣とよばれた。貞治(じょうじ)6=正平22年9月3日死去。51歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android