日本歴史地名大系 「西宇和郡」の解説
西宇和郡
にしうわぐん
〔原始・古代〕
縄文時代の遺跡は乏しく、弥生時代の遺跡には
奈良時代においてはこの地域は宇和郡に属していたが、「三代実録」によると貞観八年(八六六)一一月、宇和郡を宇和・
矢野郷内には、平安時代に矢野保が成立したと思われ、矢野保内という呼称も生じた。のちに近世まで用いられる地名となっている。
院政期には矢野領とよばれ、池大納言平頼盛の荘園であった。治承・寿永の内乱のなかで、一時平家没官領の中に入るが、寿永三年(一一八四)四月五日、源頼朝が故池禅尼の恩徳に報いるため、後白河法皇にその返還を願い出ている。「吾妻鏡」によると、頼盛に返還された所領三四ヵ所の内に「矢野領伊与」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報