出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
愛媛県西部,豊予海峡(速吸(はやすい)瀬戸)に突出した全長40kmの半島。三崎半島ともいう。古来〈三崎十三里〉といわれ,日本一狭長な半島として有名である。西宇和郡伊方町に属し,面積は約95km2。半島の先端,豊予海峡に望む佐田岬は海上交通の要衝で,第2次大戦中まで要塞地帯であった。岬端付近には岩礁が多く,その一つ黄金碆(おうごんばえ)は海の難所として知られる。地質は三波川変成岩よりなり,各所に含銅硫化鉄鉱床を含んでいる。明治中期から第2次大戦にかけては,30余の中小銅山が稼働し,一時は別子銅山に次ぐ産銅地であった。地形は急峻な山地が海に没し,平たん地はほとんど見られない。耕地は山腹斜面に段畑として展開し,集落も山腹斜面に立地するものが多い。北岸の中央部にある三机(みつくえ)湾は砂嘴にいだかれた天然の良港で,真珠湾攻撃の特殊潜航艇の訓練地であった。
気候は温暖で,西部では年平均気温16℃,天然記念物のアコウの老木があり,亜熱帯植物の北限をなす。農業は段畑を利用して,夏作にサツマイモ,冬作に麦を栽培していたが,1960年ころからかんきつ類の栽培が盛んとなっている。伊方町の旧三崎町は全国有数のナツミカンの産地として知られる。漁業は旧三崎町で盛んで,串地区にはアワビ,サザエの磯物を潜水して漁獲する海士(あま)が多い。また岬端部一帯は寒ブリの一本釣りの好漁場でもある。半島はかつては陸の孤島といわれたが,1963年三崎までバスが通じ,69年には三崎~佐賀関(大分県)間にフェリーが就航した。海食崖や岩礁に富む海岸線は1965年佐田岬半島宇和海県立自然公園に指定された。佐田岬などは瀬戸内海国立公園の一部でもある。
執筆者:篠原 重則
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愛媛県西部に突き出た半島。中央構造線に沿って西南西に約40キロメートル、最大幅6.4キロメートル、最小幅0.8キロメートルの細長い半島で、瀬戸内海の伊予灘(いよなだ)と豊後(ぶんご)水道の宇和海をくぎっている。半島の頸部(けいぶ)は西宇和郡伊方(いかた)町、中央部は瀬戸町、西部が三崎町となっていたが、3町は2005年(平成17)に合併したため、現在は半島全域が伊方町に属する。面積は約95平方キロメートル、人口約1万1000(2010)。
半島の地質は古生代三波川(さんばがわ)系結晶片岩類からなり、北側はいくつかの胴切り断層があり、それに沿って独特の海食崖(がい)と海岸線をなし、南側はリアス海岸である。海岸近くには碆(ばえ)とよばれる隠顕岩礁が数多くあり、水産資源の宝庫である。とくに佐田岬先端の黄金碆(おうごんばえ)は海中で硫化銅が輝くことで有名。三崎海岸にはアコウの老大木があり、亜熱帯樹の生育北限となっている。佐田岬半島宇和海県立自然公園に指定され、半島の先端の佐田岬灯台周辺は瀬戸内海国立公園に含まれている。三机湾(みつくえわん)では第二次世界大戦中特殊潜航艇の訓練が行われた。伊方町九町(くちょう)には四国電力の伊方原子力発電所がある。国道197号(佐田岬メロディーライン)が半島の先の三崎まで延びていて、さらに三崎港からは大分県の佐賀関と別府を結ぶフェリーが就航している。
[深石一夫]
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