日本歴史地名大系 「西応寺」の解説 西応寺さいおうじ 福井県:大野市今井村西応寺[現在地名]大野市今井今井(いまい)集落の北部にある。真宗仏光寺派。本尊は阿弥陀如来。古くは専西(せんさい)寺と称し、「三河念仏相承日記」にみえる高田系の「佐塚ノ専性」の系統をひく人物によって創建されたともいうが、その詳細は不明。高田派が専修(せんじゆ)寺の住持職をめぐって真智と応真との二派に分立して争った際、当寺は真智を擁立した越前の大坊四ヵ寺のなかの一寺であり、大永二年(一五二二)八月一七日の専西寺了誓証状や永禄四年(一五六一)一〇月二八日の本流院真孝等連署状(三重県一身田専修寺文書)に「専西寺真誓」「大野中交専西寺」などとみえるから、この頃当寺は大野(おおの)郡中交(中挟か)にあったらしい。 西応寺さいおうじ 和歌山県:和歌山市河南地区木枕村西応寺[現在地名]和歌山市木枕瑞雲山と号し、西山浄土宗。本尊阿弥陀如来。寺伝によると、梶取総持(かんどりそうじ)寺(現和歌山市)の開山明秀が、現在の寺地より南二〇〇メートルの地に一宇を建立したことに始まるという。「続風土記」は、天正一三年(一五八五)羽柴秀吉の紀州攻めにより荒廃したが、寛永一五年(一六三八)立空慶規によって再興されたとする。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by