日本歴史地名大系 「西町村」の解説 西町村にしちようむら 福島県:いわき市旧磐城市地区西町村[現在地名]いわき市小名浜(おなはま)愛宕(あたご)・愛宕上(あたごうえ)・愛宕下(あたごした)・後場(あとば)・大原境(おおはらざかい)・大原境西(おおはらざかいにし)・神成塚(かみなりづか)・定西(さだにし)・汐入(しおいり)・下手(しもて)・甚太郎東(じんたろうひがし)・大道下(だいどうした)・丹波沼(たんばぬま)・滝尻道(たきじりみち)・大道北(だいどうきた)・高山(たかやま)・堤(つつみ)ノ東(ひがし)・堤(つつみ)ノ北(きた)・寺後(てらうしろ)・寺廻(てらまわり)・鳥居下(とりいした)・道珍(どうちん)・燈籠原(とうろうはら)・鳥居北(とりいきた)・土井口(どいぐち)・富岡向(とみおかむかい)・中原(なかはら)・中町境(なかちようざかい)・渚廻(なぎさまわり)・渚(なぎさ)・隼人(はやと)・林(はやし)ノ上(うえ)・林(はやし)ノ下(した)・林(はやし)ノ根(ね)・橋本(はしもと)・吹松(ふきまつ)・弁別(べんべつ)・平蔵塚(へいぞうづか)・松之中(まつのなか)・前沼(まえぬま)・宮(みや)ノ下(した)・山神北(やまがみきた)、小名浜愛宕上(おなはまあたごうえ)・小名浜愛宕町(おなはまあたごちよう)・小名浜寺廻町(おなはまてらまわりちよう)・小名浜西町(おなはまにしちよう)・小名浜中町境(おなはまなかちようざかい)小名浜四ヵ村の一つで、その一番西にあるための村名。藤原(ふじわら)川河口東岸にあり、対岸は滝尻(たきじり)村・下川(しもがわ)村、東は中町(なかちよう)村。 西町村にしまちむら 岡山県:英田郡大原町西町村[現在地名]大原町西町今岡(いまおか)村の北東に位置。村内を東町(あずまち)川(宮本川)が流れる。宇喜多氏時代に西の辻堂(つじどう)村から分村したという(東作誌)。正保郷帳に村名がみえ、田一三一石余・畑九〇石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高一三〇石余・開高六石余、村位は上。津山藩森氏断絶後は幕府領、延享二年(一七四五)因幡鳥取藩預、天明七年(一七八七)下総佐倉藩領、寛政一一年(一七九九)幕府領、天保一三年(一八四二)播磨明石藩領(美作国郷村支配記)。 西町村にしまちむら 熊本県:阿蘇郡阿蘇町西町村[現在地名]阿蘇町西町西は竹原(たかわら)村、東は宮地(みやじ)村(現一の宮町)に接する。近世は内牧手永に属し、「国誌」では高五九三石余とあり、「古ヘノ町迹也」と記す。天保九年(一八三八)の村々調では西町村は田畑五二町、高四五六石・御出物成一七二石、竈数四七・人口一八三、牛三三・馬四六とあり、ほかに分西町(わけにしまち)村があり、田畑二一町三反、高一九七石・御出物成七二石、竈数二五・人口一二五、牛二四・馬三六とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by