西羽賀村(読み)にしはがむら

日本歴史地名大系 「西羽賀村」の解説

西羽賀村
にしはがむら

[現在地名]高郷村西羽賀

夏井なつい村の南、只見ただみ川左岸にあり、河沼郡野沢組に属した。同川対岸東方は同郡東羽賀村越後街道の脇道勝負沢しようぶざわ越道が通る。東羽賀村とを結んで同街道渡船場が置かれ、寛政五年(一七九三)には脇街道駅所に指定されている。問屋は肝煎斎藤家が勤めていた(「高郷村史」など)。伝えによれば開村は一二世紀の後半、讃岐国の落人一族九人が当地に来住、北羽賀・松田まつだの二区を開いたことに始まるという(「新編会津風土記」、斎藤家文書など)。文安五年(一四四八)前年の大風で倒壊した塔寺とうでら八幡宮(現会津坂下町)鳥居が再建されたが、この折に会津地方の各地から建材が集められた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む