日本歴史地名大系 「西表村」の解説 西表村いりむていむら 沖縄県:八重山諸島竹富町西表村[現在地名]竹富町西表(いりおもて)西表(いりおもて)島中央西部に位置する行政村。地元ではイリムティとよぶ。古く西表村は島の北西部、与那田(ゆなだ)川河口から東に設定されていた村であったが、複雑な経過をたどって乾隆三三年(一七六八)にその一部と慶田城(きだすく)村をもって西表村とし、近代に至った。西は東シナ海に面し、海上の内離(うちぱなり)島・外離(ふかぱなり)島を村域に含む。沈水地形のため海岸線は出入りに富む。北は北西流する浦内(うらうち)川を境に上原(ういばる)村、南は網取(あみとり)・鹿川(かのかわ)両湾を結ぶ地峡を境に崎山(さきやーん)村、東は原生林に覆われた山地を境に南風見(ぱいみ)村。村域は中央部を北西流する仲良(なから)川、南部を北流するクイラ川により分断され、北部に村番所のある祖納(すね)と干立(ふだてい)、内離島に成屋(なりやー)、南部に船浮(ふなき)の各小村がある。〔西表村と慶田城村〕近世初頭西表島西部は入表(いりむてい)間切に属し、祖納・干立・多柄(たから)・浦内(うらうち)・成屋・船浮・網取(あんとうり)・鹿川(かぬか)の八ヵ村があった(両島絵図帳)。これらは崇禎元年(一六二八)の三間切制移行時には大浜(ほーま)間切西表村・慶田城村に統括された(八重山島年来記)。「琉球国由来記」にみえる御嶽の所属村から干立・多柄・浦内は西表村、成屋・船浮・網取・鹿川は慶田城村に属し、祖納村は西表・慶田城両村に分掌されていたことがわかるが、祖納村が二分された時期や理由は不明。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by