西部金屋村(読み)にしぶかなやむら

日本歴史地名大系 「西部金屋村」の解説

西部金屋村
にしぶかなやむら

[現在地名]高岡戸出西部金屋といでにしぶかなやなど

庄川千保せんぼ川の間に位置。北は石代こくだい村、南は秋元あきもと(現砺波市)西保金屋にしほかなや村・西保三にしほさんヶ村などともいわれる。中世からの鋳物師村として知られる。南北朝期の題未詳識語(金沢文庫古文書)に「越中国都波群般若野庄西保金屋崇福寺宝幢坊」とある。また高野山宝亀ほうき院蔵の「疏論義」奥書に、正長元年(一四二八)一一月日付でみえる「般若野庄金屋談義所」は当地にかかわるものか。慶長一五年(一六一〇)五月、前田利長は「にしぶかなやのいもし」に高岡へ引越すよう申付けており(「前田利長書状」高岡市立博物館蔵)、その結果弥右衛門などが高岡へ移住し、高岡金屋かなや町が開かれた。元和三年(一六一七)鋳物師村としての特権を失い、当村に残った鋳物師は百姓並みに郡役を課せられることになった(釜本家文書)。しかし当村の鋳物師は仕事を続け、寛永一五年(一六三八)藤原家次、大工仁右衛門・次郎右衛門が厳照ごんしよう寺の洪鐘を鋳造している(厳照寺蔵鐘銘)。元和五年の家高新帳では戸出又右衛門組に属して「西保かなや」とみえ、役家数一四。寛永九年には古高六五一石余、うち古開高二九石余、金屋高五六二石余、落合おちあい高三七石余、長森ながもり高二二石余で、長森は庄川東岸にあたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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