日本歴史地名大系 「西院庄・西院小泉庄」の解説
西院庄・西院小泉庄
さいいんのしよう・さいいんこいずみのしよう
京域の条坊では右京四条二坊、五条二坊・三坊・四坊、六条二坊・三坊の辺り、近世の西院村付近に比定される荘園。
執
行寺務
之理
者、即可
致
其沙汰
者也、何経
三箇季年
之後、今成
此論
乎」とあり、小泉庄は曼荼羅寺寺務の管理下にあったことが知られる。四年後の永保二年(一〇八二)一月二〇日付の永作手田宛行状(大徳寺文書)には、「西院小泉御庄」の庄名がみえる。この宛行状は、預所紀氏と四名の刀禰が連署し、当庄内荒田一町の作手を僧知増に宛行ったものである。摂関家領と目されるこの西院小泉御庄が、曼荼羅寺領小泉庄とどのような関係を持っていたのか、全く不明であるが、ともかく西院小泉御庄の名は、以後源歓乃丸田路売券(久安三年二月一七日大徳寺文書)や、下野武致所領譲状(同文書)の売券や譲状に散見するようになる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報