小泉庄(読み)こいずみのしよう

日本歴史地名大系 「小泉庄」の解説

小泉庄
こいずみのしよう

現村上市を中心に山北さんぽく町・朝日あさひ村・神林かみはやし村・粟島浦あわしまうら村などを含んだ庄園。南はあら川の下流を境にして荒河あらかわ保に接し、北は出羽国境に至る。庄名の由来は不明であるが、出羽の大泉おおいずみ(現山形県鶴岡市付近)との関連が考えられる。

初見は「中右記」保安元年(一一二〇)三月二三日条で、「越後国小泉庄相博之事」とある。六月一六日・一七日・二四日条には当庄の前定使兼元丸が去年冬当庄に下向中に藤原清衡の金・馬・檀紙などを奪った件で検非違使庁に捕縛されたことが載る。同四年八月八日付の長男宗能宛の右大臣藤原宗忠譲状写(南部文書)は当庄を祖父藤原(大宮)俊家以来の所領とする。長寛三年(一一六五)正月日越後国司庁宣案(同文書)は金剛心院領小泉庄への国の妨げの停止を命じ、また「瀬波河」(三面川か)は「有限国領」であるからとくに鮭漁に庄家の妨げがあってはならない、城助永の濫行を停止するように、などと記している。同年三月六日の内大臣藤原宗能譲状案(同文書)では小泉庄は子の宗家に譲られている。

小泉庄
こいずみのしよう

現上田市の西部を東流して千曲川に入る浦野うらの川の下流、旧泉田いずみだ村を中心とする地域一帯に成立した荘園。浦野川塩田しおだ盆地から北流するさん川によって沖積された肥沃な土地に立地し、古代東山道の通過地点で、「和名抄」にみえる福田郷の領域とほぼ一致すると想定される。

荘名は「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条の乃貢未済庄々注文に「一条大納言家領、小泉庄」とみえるのを初見とする。「吾妻鏡」にある信濃のうち一条大納言家領とあるのは小泉庄だけである。小泉庄の西隣に成立した浦野庄は、一条能保の子、尊長法印を領家とした記録があるので、あるいはこの一条家とも想像されるが、能保は大納言になっていない点問題が残る。

小泉庄
こいずみのしよう

三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「六十七小泉庄廿三丁七反小 竜花院新田方在此内」とある。また、「六十一竜花院新田 小泉御庄内野田西端田数事 合一町百歩者 地子米五石四斗者、在大和国添下郡六条五里十九坪六反小廿歩、卅坪三反三百廿歩(中略)建長三年十一月十五日注進」とみえる。小泉庄は興福寺大乗院領荘園であり、そのうちに興福寺竜花りゆうげ正暦しようりやく(現奈良市)新田一町余があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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