(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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室町中期の幕臣。親当(ちかまさ)の子、新右衛門尉(じょう)と称し、号を不白(ふはく)、法名を道寿(どうじゅ)という。1473年(文明5)政所(まんどころ)執事伊勢貞宗(いせさだむね)の代官として政所代に任じられた。故実に通じ、三条西実隆(さんじょうにしさねたか)らの公家(くげ)とも親交があったので、幕政に重きをなした。その活動の跡は『親元日記』や政所の公用記録というべき引付(ひきつけ)によって知られ、いずれもこの時期の政治・経済史料として貴重である。また和歌・連歌をよくし、『新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)』に採録されているほか、筆跡にも優れ、書写した典籍も多い。
[桑山浩然]
…親当(ちかまさ)は智蘊と号し,幕臣としてより連歌師として著名で,二条良基と宗砌(そうぜい)の中間に位置する人物として知られる。親当の子親元(1433‐88)は伊勢貞宗の被官として8代将軍義政に仕え,応仁の乱前後の政情を記した日記《蜷川親元日記》を残し,親元の子親孝(?‐1525),曾孫の親俊(?‐1569)も《蜷川親孝日記》《蜷川親俊日記》を残す。政所の政務処理の過程で作られる訴状や裁許状の控は〈賦引付(くばりひきつけ)〉〈御判(ごはん)引付〉などと呼ばれるが,売買,貸借,質入れなど政所所管事項の実務を記録するこれら記録は,すべて蜷川氏によって筆録されたもので,中世後期の経済界,とりわけこの時期に頻発する徳政一揆の背景を知りうる史料として貴重である。…
…室町幕府8代将軍足利義政の時代に政所代(まんどころだい)をつとめた蜷川親元(1433‐88)の日記。親元は名筆として著名で,早い時期からその日記は観賞の対象とされたため散逸した部分が多いが,今残るところは1465年(寛正6)および1477年(文明9)より86年の一部である。…
※「蜷川親元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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