日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
覚えることの限界――イメージの保存
おぼえることのげんかいいめーじのほぞん
人の記憶についての興味深い報告がある。1920~39年にかけてソ連の心理学者ルリヤA. R. Luriyaは、イメージを使って記憶力を伸ばすことに成功したSという男を紹介している。Sは自分がよく見知っている風景(モスクワの通りなど)を思い描きながら、与えられた項目をイメージにして置き換えていく方法を用いて、ほとんど無限大の記憶力を誇っていた。しかもその記憶を何年にもわたって保持していた。
そのようなすばらしい記憶力は、一見非常に優れた能力のように思われるが、実際はかならずしもそうとはいえない。この記憶術の大家Sが抱える最大の難問は、彼がけっして忘れることができないということであった。われわれは、物覚えが悪いことを嘆くが、Sは物忘れが悪いことを嘆いていた。しかも、彼はなんでもイメージに変えてしまうという特殊な能力の持ち主であったため、普通の文章の理解が困難であったという。彼には個々の単語が一つ一つ互いに独立したイメージとして浮かんでくるので、文章全体の意味の理解が不可能になるというのである。
こうした特殊能力の持ち主からも推察されるように、われわれのイメージはいったん形成されると簡単には消失しない。
1950年代末にカナダの精神科医ペンフィールドW. G. Penfield(1891―1976)は、てんかんの手術時に脳のいろいろな部位を電気刺激することを試み、側頭葉の刺激によって、患者が過去に経験したことが(それまで一度も思い出したことがなかったのに)、鮮やかなイメージとなって眼前に出現した、と報告しているが、これなども、われわれがイメージという形で、感覚印象を脳にそのままの形で保存していることをうかがわせる例である。
[岩崎祥一]