デジタル大辞泉 「養和」の意味・読み・例文・類語 ようわ〔ヤウワ〕【養和】 平安末期、安徳天皇の時の年号。1181年7月14日~1182年5月27日。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「養和」の意味・読み・例文・類語 ようわヤウワ【養和】 平安時代、安徳天皇の代の年号。安徳天皇即位の翌年、治承五年(一一八一)七月一四日に改元、養和二年(一一八二)五月二七日に至って次の寿永となる。源平争乱の時代で、平氏政権と戦っていた源頼朝の方では、この年号を用いず、引き続き治承を使用していた。出典は「後漢書‐逸民伝・台佟」の「幸得レ保二終性命一、存レ神養レ和」による。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本の元号がわかる事典 「養和」の解説 ようわ【養和】 日本の元号(年号)。平安時代の1181年から1182年まで、安徳(あんとく)天皇の代の元号。前元号は治承(じしょう)。次元号は寿永(じゅえい)。1181年(治承5)7月14日改元。安徳天皇の即位にともない行われた(代始改元)。『後漢書(ごかんじょ)』を出典とする命名。源頼朝(よりとも)ら関東の源氏方は、1183年まで「治承」の元号を用いた。源平争乱の最中の1181年(養和1)、平氏一門の総帥平清盛(きよもり)が高熱のため死去し、三男の平宗盛(むねもり)が家督を継いだ。この頃、天変続きで西国は大飢饉に見舞われ、餓死者が数万人にのぼった。 出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報