日本歴史地名大系 「親川村」の解説 親川村うえーがーむら 沖縄県:沖縄島北部名護市親川村[現在地名]名護市親川(おやかわ)羽地(はにじ)間切の中央部に位置し、北は仲尾(なこー)村。ウェーガーあるいはウヤガーとよぶ。集落はアプハミヌミャーの丘陵の裾に立地し、のち南の前田(めーた)や碑文前(ぴーむいぬめー)の沖積低地に広がる。親川(おやかわ)グスクは古琉球期から羽地間切一円を支配した按司の拠点である。羽地間切番所が置かれた時期がある。絵図郷村帳・琉球国高究帳に村名はみえず、田井等(てーや)村からの分村とされるが、時期は不明。元文検地の際の羽地間切針竿帳写(国立歴史民俗博物館蔵)に田井等村前親川親雲上、道光二四年(一八四四)の羽地間切肝要日記(琉球産業制度資料)に親川村がみえる。元文検地の際に設置された印部土手石が二基みつかっており、「キ・たこ川原」「し・くすく原」と刻まれるが、両方とも現在の小字としては伝わっていない。 親川村おやかわむら 秋田県:本荘市親川村[現在地名]本荘市松(まつ)ヶ崎(さき) 親川日本海に面し、親川の河口にある。北は芦川(あしかわ)村、東は岩谷麓(いわやふもと)村(現由利郡大内町)、南は深沢(ふかさわ)村(現大内町)と接する。慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)には赤尾津(あこうづ)郷の内として村名があげられる。寛永二年(一六二五)には高一二一石一斗四升五合、納米六六石六斗三升、免五ツ五歩(油利之内修理大夫様御知行御検地帳免定之目録写)とあり、正保三年(一六四六)には一二二石五斗八合(「出羽国油利郡内高目録」秋田県庁蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by