朝日日本歴史人物事典 「親玄」の解説
親玄
生年:建長1(1249)
鎌倉末期の真言宗の僧。大納言源通忠の子。醍醐寺覚洞院親快の弟子。親快から同寺の地蔵院を譲られるが,醍醐寺座主をめぐる争いでは傍流だったので,新天地を求めて鎌倉に下る。鎌倉では第8代将軍久明親王や得宗北条貞時に近侍して様々な修法を勤め,その推挙を得て永仁6(1298)年,ついに念願の醍醐寺座主に任じられた。のちに大僧正,東寺長者に上るが鎌倉にとどまることが多かった。正応5(1292)年から永仁2年の鎌倉滞在中の日記が残り,世情不安と加持祈祷に明け暮れた当時の鎌倉の様子を詳細に記す。<参考文献>岩橋小弥太「親玄僧正とその日記」(『国史学』2号)
(土谷恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報