親玄(読み)しんげん

朝日日本歴史人物事典 「親玄」の解説

親玄

没年元亨2.3.16(1322.4.3)
生年:建長1(1249)
鎌倉末期の真言宗の僧。大納言源通忠の子。醍醐寺覚洞院親快弟子。親快から同寺の地蔵院を譲られるが,醍醐寺座主をめぐる争いでは傍流だったので,新天地を求めて鎌倉に下る。鎌倉では第8代将軍久明親王や得宗北条貞時に近侍して様々な修法を勤め,その推挙を得て永仁6(1298)年,ついに念願の醍醐寺座主に任じられた。のちに大僧正,東寺長者に上るが鎌倉にとどまることが多かった。正応5(1292)年から永仁2年の鎌倉滞在中の日記が残り,世情不安と加持祈祷に明け暮れた当時の鎌倉の様子を詳細に記す。<参考文献>岩橋小弥太「親玄僧正とその日記」(『国史学』2号)

(土谷恵)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「親玄」の解説

親玄 しんげん

1249-1322 鎌倉時代の僧。
建長元年生まれ。真言宗。醍醐(だいご)寺の親快に灌頂(かんじょう)をうけ,同寺の地蔵院をつぐ。永仁(えいにん)6年(1298)醍醐寺座主(ざす)となる。のち大僧正,東寺長者。鎌倉滞在中に「親玄僧正日記」をあらわした。元亨(げんこう)2年2月17日死去。74歳。俗姓久我。著作に「灌頂記」「四種法記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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