改訂新版 世界大百科事典 「フロアサール」の意味・わかりやすい解説
フロアサール
Jean Froissart
生没年:1337ころ-1410ころ
フランスの年代記作家,詩人。ローマ帝国に帰属するエノー伯領内の町バランシエンヌの市民階級の出身。1361年イングランドに渡り,同郷人の王妃フィリップ・ド・エノーの庇護を受け,秘書として,ときに恋愛詩をつづって王妃にささげる。王妃の援助でスコットランドを旅行し,情報収集を行ったり,黒太子エドワードのフランス進軍に随伴して戦闘を目撃したり,クラレンス公の婚儀のためのイタリア行きに加わる(チョーサーも同行し,ミラノではペトラルカに会ったかも知れない)などして,百年戦争下のイギリス,フランスをめぐる角逐を描く《年代記Chroniques》執筆の素地をかためていく。王妃の死(1369)後,バランシエンヌに戻って,商取引に手を出したが,やがて新しいパトロン,ブラバン伯ワンセスラス・ド・リュクサンブールのもとで,豊かな聖職禄を受け,執筆生活に専念する。この時期に,詩人とその良心との対話を描く《青春のうるわしき茨》と,アーサー王物語の流れを汲む韻文長編物語《メリアドール》が書かれる。そして自前の資料を盛り込んだ同時代史《年代記》第1巻第2版も完成(3稿あり,それぞれ1322-69年,1322-72年,1322-77年を記述している。また第1版はジャン・ル・ベルの素材よりリライトしたものである)。ブラバン伯の死(1383)後は,ギ・ド・ブロアの庇護を受け,フランドルやフランス各地を歴訪し,諸侯を訪ねては証言を集めて,《年代記》を第2巻〈1377-85年〉(1387完成),第3巻〈1385-89年〉(1390完成),そして第4巻のはじめまで書き継いでゆく。その後1394年には自作の詩集を携えてイングランドを再訪するが,期待を裏切られて帰国。《年代記》第4巻〈1389-1400年〉(1404完成)をまとめるが,晩年の消息はまったく不明である。
詩人フロアサールには,自伝風の,《恋のとげ茨》(1365-71),時計のしかけと恋する心のメカニズムの相似を描いた《恋の時計》などのほか,多数の抒情詩があり,いずれも自分の文才を認めてもらいたがるお抱え詩人の限界はあるものの,愛の楽園は幼年期にあるという新しいテーマを見いだし,青春へのノスタルジーを歌いはじめた功績は大きい。また,彼の《年代記》は,事件の主人公たる諸侯はもちろんのこと,事件に立ち会った楯持ちや伝令に至るまで直接にあたって得た証言をもとに執筆されていて,現場再現の筆致はみごとであるが(例えば第1巻の〈カレーの市民〉の話),パトロンが変わるたびに内容を変えてしまう,〈無節操〉なところがある。しかし,そのような矛盾を含めて,フロアサールの《年代記》には,中世人の心性を読み取る貴重な鍵がひそんでいることは確実である。
執筆者:細川 哲士
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報