青岸渡寺(読み)セイガントジ

デジタル大辞泉 「青岸渡寺」の意味・読み・例文・類語

せいがんと‐じ【青岸渡寺】

和歌山県東牟婁ひがしむろ那智勝浦町にある天台宗の寺。山号那智山仁徳天皇の時、インド僧裸形上人の創建と伝える。西国三十三所第一番札所。平成16年(2004)「紀伊山地霊場と参詣道」の一部として世界遺産文化遺産)に登録された。那智の観音。

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精選版 日本国語大辞典 「青岸渡寺」の意味・読み・例文・類語

せいがんと‐じ【青岸渡寺】

  1. 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺。山号は那智山。仁徳天皇のとき裸形(らぎょう)上人が那智の滝壺から如意輪観音像を感得し、草堂に安置したのに始まる。推古天皇のとき生仏上人が伽藍を建立し、胎内に感得の観音像をおさめた如意輪観音像を造り本尊とした。天正九年(一五八一織田信長のため焼かれたが、豊臣秀吉の命をうけて羽柴秀長が再興した。明治初年の神仏分離により如意輪堂も廃されたが、同七年(一八七四)本堂として復興。西国三十三所の第一番札所。那智の観音。那智観音堂。

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日本歴史地名大系 「青岸渡寺」の解説

青岸渡寺
せいがんとじ

[現在地名]那智勝浦町那智山

那智大滝西方参道の石段を登った標高五〇〇メートルの高台熊野那智大社と相並ぶ。法人名は那智山青岸渡寺。那智山と号し、天台宗。本尊如意輪観音。古くは如意輪堂と称し、那智権現の供僧寺であった。西国三十三所観音霊場の第一番札所。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔如意輪堂〕

寺伝では、仁徳天皇のとき熊野権現をこの地に勧請して那智山を開いたという裸行(裸形)の開基という。「冥応集」や「続風土記」などは裸行が現在の本堂の地に庵室を結び、感得した如意輪観音像を安置して権現に奉仕、その庵を如意輪堂と称したのに始まるとする。如意輪堂は「中右記」天仁二年(一一〇九)一〇月二七日条に「此堂如意輪験所也、暫行礼拝、小念誦了帰房、此如意輪大験仏也、其根源住僧所談也」とみえる。「塵添嚢抄」長谷僧正の項の久安六年(一一五〇)の記事に「那智ノ山、如意輪堂如意輪也、(中略)面七間奥ヘ十間ノ堂ナリ、願主裸形聖人ト云也」とあり、堂の規模がうかがわれる。如意輪堂は「一遍聖人絵伝」の那智山の図にみえ、また室町時代以降盛んに作られた那智参詣曼荼羅にも堂舎の様子が描かれている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青岸渡寺」の意味・わかりやすい解説

青岸渡寺
せいがんとじ

和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦(なちかつうら)町にある天台宗の寺。那智山と号する。本尊は如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)。通称那智観音(かんのん)とよばれる。西国(さいごく)三十三所第一番札所。寺伝によれば、仁徳(にんとく)天皇の代、熊野浦に漂着したインド僧裸形上人(らぎょうしょうにん)が那智大滝において観世音菩薩を感得し、現本堂の地に庵(いおり)を結び如意輪堂と称したのを開基とする。推古(すいこ)天皇(在位592~628)の代には大和(やまと)聖生仏(ひじりしょうぶつ)上人が参籠(さんろう)し、玉椿(たまつばき)の大木に如意輪観世音を彫刻して前の観音像を胎内に納めたという。以後、役行者(えんのぎょうじゃ)、最澄、空海、円珍、叡豪(えいごう)、範俊(はんしゅん)らの高僧が相次ぎ参籠し、のちにこの仏徳の師に裸形上人を加えて那智七先徳と称する。那智山は神仏習合の修験(しゅげん)道場として時代とともに隆盛を極め、最盛時に七堂伽藍(がらん)、子院36坊を有したという。本宮(阿弥陀(あみだ))、新宮(薬師)、那智(観音)の熊野三山は、現世と未来の二世にわたる信仰の対象となり、貴賤(きせん)を問わぬ多くの参詣(さんけい)者により「蟻(あり)の熊野詣(くまのもう)で」といわれた。皇室の尊崇も深く、なかでも花山(かざん)法皇は988年(永延2)、山中の二の滝前に庵をつくり円成(えんじょう)寺と号して3年間参籠した。織田信長の兵火で堂は焼失したが、豊臣(とよとみ)秀吉によって1587年(天正15)再建されたのが現本堂(如意輪堂、国重要文化財)である。明治期の神仏分離で廃寺となるが、1874年(明治7)に復興し、翌年天台宗比叡山延暦(ひえいざんえんりゃく)寺末となる。元亨(げんこう)2年(1322)銘の宝篋印塔(ほうきょういんとう)、1918年(大正7)に那智山経塚から発掘された金銅仏像八体が国重要文化財に指定されるほか、元亨4年銘の梵鐘(ぼんしょう)、秀吉寄進の大鰐口(わにぐち)など多くの寺宝を有する。

[中山清田]


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改訂新版 世界大百科事典 「青岸渡寺」の意味・わかりやすい解説

青岸渡寺 (せいがんとじ)

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺。山号は那智山。熊野那智大社(熊野大社)に隣接する。西国三十三所観音霊場の第1番札所。明治維新前は如意輪堂と称し,熊野那智権現の供僧寺であった。仁徳天皇の時代,那智山を開いた裸行(裸形)上人が,如意輪観音を安置して開基となったと伝え,《塵添壒囊抄》によれば,1150年(久安6)には桁行7間,梁行10間の堂であった。また《寺門高僧記》巻六に載る61年(応保1)の三十三所巡礼記には,如意輪堂を第1番の札所と記している。1322年(元亨2),1531年(享禄4)と2度にわたって焼失,さらに81年(天正9)織田信長の兵火に見舞われて焼失した。85年に豊臣秀吉が大檀那となり再建に着手し,90年に落成した。これが現在の本堂(重要文化財)で,大門,鐘楼,護摩堂,宝蔵なども再建された。明治維新後の神仏分離により如意輪堂も廃されたが,1874年信者らにより復興がなされ,翌75年これを本堂として天台宗青岸渡寺が創立された。所蔵宝物として,元亨2年(1322)在銘の宝篋印塔,1918年那智山経塚より出土した銅造如来立像ほか3軀,金銅薄肉阿閦如来座像ほか3面(いずれも重要文化財)などがある。
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百科事典マイペディア 「青岸渡寺」の意味・わかりやすい解説

青岸渡寺【せいがんとじ】

和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦町にある天台宗の寺。西国三十三所の第1番札所。もと那智権現の供僧寺であったが,明治維新の神仏分離で,那智権現が那智神社として独立し,如意輪観音を安置する本堂を青岸渡寺とした。本堂は1613年の建立。このほか宝篋印塔,銅造如来,熊野権現曼荼羅などの重要文化財がある。2004年紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産条約の文化遺産リストに登録された。
→関連項目熊野街道那智山

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「青岸渡寺」の解説

青岸渡寺
せいがんとじ

和歌山県那智勝浦町にある天台宗の寺。那智山と号す。寺伝によれば,仁徳朝に裸行(らぎょう)上人が那智滝壺から感得した如意輪観音を祭ったことに始まり,如意輪堂と称し,熊野那智大社の神宮寺とされた。裸行上人の子孫潮崎氏,ついで米良(めら)氏が一山の衆徒・行人(ぎょうにん)を支配した。天正年間に一山焼失したが,豊臣秀吉によって復興。江戸時代には巡礼者で賑わい,盛んに出開帳(でかいちょう)を行った。明治初年の神仏分離で一時廃寺となったが,やがて復興され,寺号を青岸渡寺とした。本堂の如意輪堂(豊臣氏による再建),平安前期の銅造如来立像などは重文。西国三十三所観音の1番札所。

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デジタル大辞泉プラス 「青岸渡寺」の解説

青岸渡(せいがんと)寺

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある寺院。天台宗。山号は那智山。本尊は如意輪観音。本堂(如意輪堂)は国の重要文化財。西国三十三所第1番札所。「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青岸渡寺」の意味・わかりやすい解説

青岸渡寺
せいがんとじ

和歌山県南東部那智勝浦町にある天台宗の寺。山号は那智山。裸形上人の創建。花山天皇によって西国三十三所の第1番札所とされた。本尊は『如意輪観音』。

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事典・日本の観光資源 「青岸渡寺」の解説

青岸渡寺(第1番)

(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
西国三十三箇所」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の青岸渡寺の言及

【那智山】より

…また浄蔵,応照,仲算に代表される那智千日修行は滝修行を中心とするものである。 一方,那智山を補陀落浄土とみなしたことから,那智山権現の供僧寺であった青岸渡(せいがんと)寺が西国三十三所観音巡礼(西国三十三所)の第1番札所とされ,また那智の浜ノ宮から海上に船出して補陀落浄土に往生しようという補陀落渡海も行われ,補陀洛山寺の住僧をはじめ,渡海者が輩出した。熊野大社【宮本 袈裟雄】。…

※「青岸渡寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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