朝日日本歴史人物事典 「西園寺実兼」の解説
西園寺実兼
生年:建長1(1249)
鎌倉時代後期の公家。関東申次の役職を介して朝幕間の枢機に関与し,西園寺家の全盛を築く。父は西園寺公相,母は大外記中原師朝の娘。伏見天皇の中宮・永福門院,亀山天皇の後宮・昭訓門院の父。弘長1(1261)年1月従三位に叙され,文永3(1266)年10月権中納言に昇進。関東申次として朝幕間の連絡・交渉に当たっていた祖父実氏は文永6年6月に没したが,父公相はすでに亡く,実兼がこの職を受け継いだ。実兼の最初の関東申次在任は,これより嘉元2(1304)年夏に嫡子公衡と交代するまでの35年間。後嵯峨上皇の没後,後深草上皇流の持明院統と亀山上皇流の大覚寺統による皇位争奪戦が始まると,皇位問題をはじめ公家社会の重要事項について鎌倉幕府と交渉に当たる関東申次の役割と地位は高まった。蒙古襲来の際も朝幕間の交渉に当たっている。この間官位は累進し,正応4(1291)年12月太政大臣に達したが翌年辞官。正安1(1299)年6月出家。法名空性。2度目の関東申次は公衡が没した正和4(1315)年9月から元亨2(1322)年9月までの7年間。この間注目されるのは,文保1~2(1317~18)年のいわゆる文保の和談である。後宇多上皇は実兼をだきこみ,幕府を動かして,後醍醐天皇の践祚,嫡孫邦良親王の立太子を実現させた。持明院統の花園上皇は実兼を「朝の元老,国の良弼」「数代の重臣」と評している。歌人でもあり勅撰集入集200首余。なお,後深草院二条の『とはずがたり』に登場する愛人の「雪の曙」は実兼のことと考えられている。<参考文献>森茂暁『鎌倉時代の朝幕関係』
(森茂暁)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報