デジタル大辞泉
「ケルン大聖堂」の意味・読み・例文・類語
ケルン‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【ケルン大聖堂】
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ケルン大聖堂 (ケルンだいせいどう)
Dom, Köln
ドイツのケルンにある大聖堂。正式名称はザンクト・ペーター・ウント・マリアSankt Peter und Maria。ライン地方で最初期最大のゴシック建築。規模,プランともフランスのアミアン大聖堂に似る。全長144m,西正面双塔は高さ157m,身廊天井高45m。1248年,北フランスで大聖堂建造に携わった工匠長ゲルハルトMeister Gerhardにより着工,1322年内陣完成後も工事はしばしば中断され,1880年に献堂。5廊式身廊と3廊式交差廊を持ち,周歩廊に七つの放射状祭室が開く。堂内壁面はトリフォリウムtriforiumにガラス面を見る3層構成で,全体に垂直性が強い。堂内装飾として,14~16世紀のステンドグラス,14世紀の聖母・使徒彫像,ロホナー作の祭壇画《三博士の参拝》等がある。
執筆者:藤本 康雄
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ケルン大聖堂
ケルンだいせいどう
Kölner Dom
ドイツ・ゴシック建築で最大の聖堂。ケルンにあるザンクト・ペテル大聖堂のこと。 1248年大司教の命でゲルハルト親方 (フランス人ジェラール・ド・リールといわれる) が起工。ゲルハルトはフランスのアミアン大聖堂の建築に従事した経験があり,ケルン大聖堂の建築様式も全体にフランスの影響を受けている。内陣は 1320年完成,1322年献堂。アーケード,トリフォリウム,クリアストーリーからなる構成で,ステンドグラスは 14世紀初めから 16世紀まで,翼廊は 1322年から 15世紀末まで完成に時間がかかった。 1560年工事は中断され,1842年ときのバイエルン国王の命で再開された。 1880年ようやく5廊形式の内部と小尖塔が増築された。双塔の高さは 157mに達し,内部は全長 146m,幅 61m,高さ 43.6m。聖堂内の宝庫には 1164年ローマから持参のマギの遺物を納めた黄金厨子,マテルヌス祭室にはロヒナーの『マギの礼拝』を含む三つ折り祭壇画 (15世紀前半) がある。またキリストやマリア,使徒たちの彫像 (14世紀初頭) はドイツ・ゴシックの傑作。 1996年世界遺産の文化遺産に登録。
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ケルン大聖堂
けるんだいせいどう
Kölner Dom
ドイツ、ケルン市にある北ヨーロッパ最大のゴシック式聖堂。1248年に起工され、1322年に完成、献堂されたが、その後も翼廊、身廊などの増改築が行われたため、創建時と様式を異にする部分が少なくない。この聖堂のプランは五廊式で、身廊と二重側廊の幅は同じであり、そして西側正面に巨大な双塔が建っている。入口のある翼廊はアミアン大聖堂のそれよりベイ(柱間)1区画だけ余分に張り出しているほかは、この聖堂の東側半分はプランも寸法もアミアンを踏襲しており、したがってアプス(後陣)には周歩廊と放射状礼拝堂群が配されている。
最終的な工事は1880年に完了するが、工期の断続に基因する建築上の欠点も種々指摘されてきている。たとえば、身廊の長さと幅の比例が不的確であり、身廊と側廊の穹窿(きゅうりゅう)の高さが不つり合いであるとか、基底部は力感に富む構成をみせるのに、西側正面の双塔は、上部がレース状細部の繰り返しに終わり、この聖堂の主要部分を矮小(わいしょう)化する結果となっている点などである。建築各部の配置や調整において、ドイツの建築家はまだフランス・ゴシックの建築家に及ばなかったといえる。なお、この聖堂は1996年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[濱谷勝也]
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ケルンだいせいどう【ケルン大聖堂】
ドイツ中西部、ノルトラインヴェストファーレン州のライン川西岸の都市ケルン(Koln)にある、2つの尖塔を持つカトリック教会の大聖堂。高さ157m。ドイツ最大の大聖堂で、ゴシック様式の建築物としては世界最大である。ケルン大聖堂の歴史は4世紀に遡(さかのぼ)り、12世紀後半に東方三博士の聖遺物が安置されたことで、数多くの巡礼者を集める聖地となった。現在の聖堂の建設は1248年に始まる。16世紀以降、財政難から建設が中断されたが、19世紀に再開された。現在の大聖堂が完成したのは、建設開始から600年以上後の1880年である。第二次世界大戦中、連合軍の爆撃を受け、激しく破壊されたものの、倒壊は免れ、戦後復旧工事が始まり、1956年に元の状態に復元した。南塔にはケルン市街を一望できる展望台があり、509段の階段を上って行くことができる。◇正式名称は「聖ペトロとマリア大聖堂」(Dom St. Peter und Maria)。世界遺産に登録されている。
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ケルンだいせいどう【ケルン大聖堂】
1996年に登録、2008年に登録内容が変更された世界遺産(文化遺産)。ケルンは、ドイツ中西部、デュッセルドルフの南方にある都市。大聖堂は、1248年に建設が始まり、完成したのは1880年で、途中で財政難により中断しながらも600年以上の歳月をかけて建造された巨大な歴史的建造物。ゴシック様式で高さが157m。完成当時は建築物として世界一の高さを誇った。ハンザ同盟都市として繁栄したケルンの権勢を偲ばせる。正式名称はザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂。聖堂の歴史は古く、9世紀の建造が前身だが、1248年に焼失し、現在の大聖堂の建設が始まった。第二次世界大戦の空襲で爆弾が落ちたが持ちこたえ、破壊された部分は戦後に復旧された。ゴシック様式の建築物として世界最大の聖堂であり、ヨーロッパに連綿と続くキリスト教信仰の例証として評価され世界遺産に登録された。◇英名はCologne Cathedral
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「ケルン大聖堂」の意味・わかりやすい解説
ケルン大聖堂【ケルンだいせいどう】
ドイツのケルン市内,ライン河畔に立つゴシックの教会堂で,正称ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂。1248年起工,1322年内陣部が完成,その後も袖廊から身廊など部分的に増修築を重ね,1880年に完成した。五廊・二重内陣式バシリカ教会堂で,西に二つの塔がある(高さ157m)。フランスのアミアン大聖堂やボーベー大聖堂の様式にならっているが,上昇性がより顕著で,広大な空間構成に特色がある。1996年世界文化遺産に登録。
→関連項目ケルン|ロホナー
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ケルン大聖堂(ケルンだいせいどう)
ドイツ,ケルンのゴシック様式の大司教座教会。1248年,エンゲルベルト大司教のもとに起工,1322年内陣部献堂,16世紀以後19世紀まで工事は中断したが,1842年再着工,80年当初のプランに従って完成した。
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ケルン大聖堂
ケルンだいせいどう
Kölner Dom
中欧最大のゴシック様式建築
1248年起工したが,工事が中断し,完成は1880年。第二次世界大戦中,空襲により損傷したが,戦後復旧した。アミアン大聖堂を模したといわれ,正面双塔は157mある。
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世界大百科事典(旧版)内のケルン大聖堂の言及
【ゴシック美術】より
…ついでフランス・ゴシック様式の正系を大規模に適用して,シュトラスブルク(身廊13世紀後半),ケルン(内陣部1248‐1322),プラハ(1344‐)の大聖堂が建設された。ケルン大聖堂は完成は19世紀であるが,アミアン大聖堂を範として,さらにゴシック建築法を極限までおし進めている。しかし14世紀以降,ドイツ・ゴシック様式は独自な発展をする。…
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