設楽原古戦場(読み)したらがはらこせんじよう

日本歴史地名大系 「設楽原古戦場」の解説

設楽原古戦場
したらがはらこせんじよう

[現在地名]新城市竹広・川路・大宮・八束穂

雁峯かんぼう山から南流して豊川に入る連吾れんご川を挟む平地。天正三年(一五七五)五月二一日に、織田・徳川連合軍と武田軍の決戦の行われた地である。

五月八日に武田勝頼一万五千の大軍に包囲された長篠ながしの(現南設楽郡鳳来町)を救援すべく織田信長・徳川家康連合軍三万八千は五月一八日連吾川の右岸布陣。信長は初め上平井の極楽寺かみひらいのごくらくじ山に本陣を置き、のち牛倉の茶臼うしぐらのちやうす山に進出、家康は大宮の弾正おおみやのだんじよう(断上山)に布陣した。北方の須長すなが付近から木下藤吉郎・佐久間信盛・池田信輝・丹羽長秀・滝川一益らが布陣。大宮から川路かわじにかけて家康麾下の石川数正・本多忠勝・榊原康政・酒井忠次・大久保忠世らの諸将が布陣。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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