精選版 日本国語大辞典 「証賢」の意味・読み・例文・類語 しょうけん【証賢】 鎌倉末期から南北朝時代の浄土宗の僧。字(あざな)は向阿、是心。号は浄華房。武田時綱の子。甲府の人。園城寺で出家し、礼阿に鎮西派一条流の浄土教を学んだ。和歌・和文に秀で、その著「三部仮名鈔(帰命本願鈔・西要鈔・父子相迎)」の果たした浄土教流布の役割は小さくない。弘長三~康永四=興国六年(一二六三‐一三四五) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「証賢」の解説 証賢 没年:貞和1/興国6.6.2(1345.7.1) 生年:文永2(1265) 鎌倉後期から室町初期にかけての浄土宗の僧。一条派の確立者。向阿とも号する。甲斐国(山梨県)生まれ。武田時綱の子。発心し園城寺に入り,出家する。のちに浄土教に帰依して,良忠の門弟であった然空礼阿の門人となる。専空から京都三条坊門高倉にあった専修院を譲与されて,浄華院と改名し,そこを拠点に布教と著述に活躍する。真如堂に参籠したときに阿弥陀仏と釈迦がふたりの僧と化して問答しているのを聞いて,開悟したという。その問答に基づいて『三部仮名鈔』を編述した。証賢の活動により,一条派は浄土宗最大の勢力となった。<参考文献>『専修学報』12号 (林淳) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「証賢」の解説 証賢 しょうけん 1265-1345 鎌倉-南北朝時代の僧。文永2年生まれ。浄土宗。園城(おんじょう)寺で天台学をまなび,のち京都法光明院の然空(ねんくう)に師事して浄土教をおさめる。乾元(けんげん)2年専空から山城の専修院をゆずられ,浄華院と改称して布教につとめた。康永4=興国6年6月2日死去。81歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。俗姓は武田。字(あざな)は是心。号は向阿。著作に「往生至要訣」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の証賢の言及 【三部仮名鈔】より …浄土宗一条派の向阿証賢の作,浄土宗の教義を和文で平易に説く。元亨年間(1321‐24)に成立。… ※「証賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by