誉田村(読み)こんだむら

日本歴史地名大系 「誉田村」の解説

誉田村
こんだむら

[現在地名]羽曳野市誉田一―七丁目・白鳥はくちよう二―三丁目・翠鳥園すいちようえん古市ふるいち一丁目・誉田など

現羽曳野市の北東端にある。村域北部には誉田御廟山こんだごびようやま古墳(応神天皇陵に治定)とその陪塚といわれる墓山はかやま古墳(国指定史跡)などがあり、誉田御廟山古墳後円部周濠の南を東西に通る古代丹比たじひ道が想定されている。丹比道は北の志紀郡と南の古市郡の郡界であったとみられるが、中世には郡界が移動したと思われる。これに交差して東高野街道が通り、誉田御廟山古墳の南にある誉田八幡宮境内南縁に沿って、東高野街道より分れて藤井寺ふじいでら(現藤井寺市)平野ひらの(現平野区)に向かう道が東西に延びる。地名は、河内に居住した崇神系皇族の品陀真若王の名によるとする説と、誉田別命(応神天皇)に求める説とがあり、ホムタからコンダに転訛したものという。寛喜三年(一二三一)四月二二日の石清水八幡宮公文所廻文(榊葉集)に、二月一五日の応神天皇国忌に御供米を負担する一所として「誉田」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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