諸国山川掟(読み)しょこくやまかわおきて

山川 日本史小辞典 改訂新版 「諸国山川掟」の解説

諸国山川掟
しょこくさんせんおきて

たんに山川掟とも。1666年(寛文6)2月2日付で,4人の幕府老中からだされた3カ条の法令。乱開発が大災害をうむとの認識が広まるなかで,木の根の採取禁止や木苗の植付けを命じている。この法令については,幕府農政がそれまでの開発万能主義から,本田畑を中心とした園地的精農主義へ転換する接点に位置するという説や,全国令ではなく畿内を対象としたもので,大坂港の維持・整備視野にいれた,淀川水系治水にねらいがあるとする説などがある。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の諸国山川掟の言及

【山】より

…山林の濫伐が水源を失わせる危惧も大きく,山崩れは,その形状から蛇抜(じやぬ)けなどと呼ばれて恐れられた。幕府が1666年(寛文6)に発した諸国山川掟は,淀川・大和川水系の山について,所領の別を超えて,水源涵養のための治山策を命じたものとして注目される。 山資源は近隣住民に利用されたが,例えば鷹巣山は王者の権として将軍家の鷹狩用に鷹の子を調達すべき山とされ,住民のいっさいの利用を拒否する地であった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」