日本歴史地名大系 「諸橋保・諸橋六郷」の解説
諸橋保・諸橋六郷
もろはしほ・もろはしろくごう
〔諸橋保〕
承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に鳳至郡「諸橋保」とみえ、公田数は初め二四町五段四であったが、二〇町一段に減っており、立券は建治元年(一二七五)と記されるが、検討の余地がある。建長三年(一二五一)五月二七日、鎌倉幕府執権北条時頼の嫡男(時宗)出産に際し、祈祷の賞として北条氏から鎌倉鶴岡八幡宮若宮別当の隆弁に諸橋保が与えられ(「吾妻鏡」同日条)、隆弁は「登州諸橋庄」を近江
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報