諸浦村
もろうらむら
[現在地名]玄海町大字諸浦
中世の有浦川河口の村で、慶長年間(一五九六―一六一五)川口の潟が干拓され、現在は川の中流に位置する。村域の大半は平坦で、蟹喰川・上村川が村内で合流して有浦川となる。轟木村との境に雄滝、石田村との境に雌滝がある。
南北朝の頃、佐志披の長子強は松浦佐志諸浦二郎三郎と称し、その子与も松浦諸浦二郎三郎と称している。
諸浦村
しようらむら
[現在地名]東町諸浦
鷹巣村の北に位置する。村域は長島の最北部に半島状に突き出た薄井地区と、乳ノ瀬戸を挟んで薄井地区と向き合う諸浦島からなり、諸浦島には本浦・白瀬・葛輪の集落がある。長島郷成立当時は一郷一村の長島村、次いで鷹巣村に属していたが、延享(一七四四―四八)頃までに鷹巣村から分れて一村になったと考えられる(「名勝志再撰方」「三州御治世要覧」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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