デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷山資忠」の解説 谷山資忠 たにやま-すけただ ?-1334 鎌倉時代の武士。代々薩摩(さつま)(鹿児島県)谷山郡の郡司(ぐんじ)。弘安(こうあん)元年(1278)から正安(しょうあん)2年(1300)ごろまで,同郡の支配をめぐって地頭島津氏との間に相論(訴訟)をくりかえした。建武(けんむ)元年12月死去。法名は覚心(信)。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「谷山資忠」の解説 谷山資忠 没年:建武1.12(1334) 生年:生年不詳 鎌倉後期の南九州の郡司。薩摩平氏の一族で薩摩国谷山郡司を相伝する谷山氏の4代目で,忠能の子。同郡一部地頭の所務を請け負っていたが,弘安1(1278)年より所務の相論を始め,晩年まで繰り返した。<参考文献>三木靖「辺境における郡司と地頭の相剋」(『人物でたどる日本荘園史』) (三木靖) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by