豆彩(読み)とうさい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「豆彩」の意味・わかりやすい解説

豆彩
とうさい

中国でおこった陶磁器の加飾法の一つで、五彩(日本でいう赤絵・色絵)磁の一技法。あらかじめ染付(そめつけ)によって釉(ゆう)下に文様輪郭を描いておき、施釉焼成ののち、染付の輪郭線に従ってふたたび各種の上絵の具を賦彩する。したがって絵付文様はていねいで気品の高い表現となる。この技法は初め明(みん)の成化年間(1465~87)に景徳鎮(けいとくちん)窯(江西省)で試みられて成立し、続いて明王朝下の歴代の官窯でもつくられた。豆彩とはその色調が青豆に似ているところからとする説がある。景徳鎮窯のいわゆる成化の豆彩はその遺品がきわめて少なく、17世紀以降の清(しん)朝になってから一躍人気を高め、その声価は今日に至るまで衰えない。盌(わん)、壺(つぼ)、瓶(へい)、馬上盃(はい)などの小型のものに優品が多い。一方清朝官窯では雍正(ようせい)年間(1723~35)に成化の豆彩の倣作のほか、まるで色と色とが競い合うような濃彩の豆彩をつくりだしたが、これを闘彩と名づけている。

 わが国では佐賀鍋島(なべしま)藩が大河内(おおこうち)藩窯において、一般に色(いろ)鍋島と俗称される精妙な彩磁を豆彩と同じ手法でつくりだしたが、これは中国の豆彩に倣ったものではなく、藩窯の独創と推察されている。

[矢部良明]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の豆彩の言及

【赤絵】より

…その後この技法は華北一帯の民窯,磁州窯系の陶技として改良普及され,明代の初期には当時磁器焼造の中心地であった景徳鎮窯にも導入されたものと見られている。まだ明代初期の赤絵については不明な点が多いが,15世紀には成化の豆彩(とうさい)(闘彩)として現れ,その後は日本で古赤絵と呼ぶ嘉靖期(1522‐66)以前の民窯の赤絵として量産された。続く嘉靖年間は赤絵の全盛期で民窯では金襴手,官窯では白磁や青花磁に五彩を加えたものを中心に,色釉地に色釉文様を加えた雑彩と呼ぶ濃麗な作品も作られた。…

【陶磁器】より

…弘治・正徳年間(1488‐1521)には黄地染付や黄地緑彩,赤絵などの雑彩磁が生まれ,とりわけ赤絵は景徳鎮民窯で盛んに焼造されて日本や東南アジアに輸出され,日本では〈古赤絵〉として珍重した。成化時代(1465‐87)には紙のように薄い胎の上に赤や緑,青で絵付を行った〈豆彩〉が生まれ,遺品は世界で数十点しかないといわれている。明代後期の嘉靖・万暦期(1522‐1619)に景徳鎮窯の生産は頂点を迎え,御器廠への生産注文は激増し,御器廠では一部を民窯に委託するという〈官塔民焼の制〉が一般化した。…

※「豆彩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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