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中国を代表する名窯。窯(かま)は江西(こうせい/チヤンシー)省景徳鎮(けいとくちん/チントーチェン)市およびその周辺に広がっており、中国の最大の古窯であると同時に、現代中国製陶業界においても第1位を占める。景徳鎮窯が初めて歴史に登場するのは隋(ずい)・初唐ともいわれるが、考古学調査では晩唐から五代にかかる9~10世紀にその始原が認められている。初め特色の乏しい青磁や白磁を焼き、当時は昌南(しょうなん)鎮と称していた。そして北宋(ほくそう)景徳年間(1004~07)に景徳鎮と改称した。この時期が確かに景徳鎮窯の台頭期であり、青白磁とよばれる青みのある白磁は、饒玉(宋代には鎮は饒州に属した)という美称を受けた最高級の精作をつくりあげた。元(げん)後期の14世紀には染付磁器を創始して中国陶磁器の王座の位置を固め、明(みん)朝初頭の永楽(えいらく)年間(1403~24)には明朝の官窯が設けられ、さらに不動の名声を得た。清(しん)朝もまた康煕(こうき)19年(1680)に官窯を設置している。元明清時代にあっては、景徳鎮窯の浮沈はそのまま中国陶磁界の主流の浮沈につながるほどであった。
[矢部良明]
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…この期のものを宋赤絵と呼んでいるが,牡丹や水禽文を赤を主とし緑と黄を加え筆少なに描いている。その後この技法は華北一帯の民窯,磁州窯系の陶技として改良普及され,明代の初期には当時磁器焼造の中心地であった景徳鎮窯にも導入されたものと見られている。まだ明代初期の赤絵については不明な点が多いが,15世紀には成化の豆彩(とうさい)(闘彩)として現れ,その後は日本で古赤絵と呼ぶ嘉靖期(1522‐66)以前の民窯の赤絵として量産された。…
…漢代以後の中国では,北部の窯は平地に築かれた平面が馬蹄形の平窯,南部では傾斜地に築かれた竜窯系の窯が一般的であるが,製品の質や燃料の種類等によって変化があり,南北の差異は一概にはいえない。たとえば明・清代の景徳鎮窯は南方にありながら竜窯系の窯ではなく,基本は平窯で,平面は細長い形をした特殊な形式である(景徳鎮)。唐代後期以後,需要の増大とともに窯の規模は大きくなり,宋代の竜泉窯のように,幅が3m,長さが50mをこえる巨大な竜窯なども築かれた。…
…日本にも大量に輸出され,砧(きぬた)青磁,天竜寺青磁,七官青磁などと呼ばれている。五代には江西省の景徳鎮窯が白磁を生み出し,やがて11,12世紀ころ青白磁(インチン)といわれる青みを帯びた白磁が湖田窯でつくり出され,竜泉窯の青磁とならんで重要な貿易陶磁となる。 華南の諸地域でもこのころ,さまざまな陶磁器をつくり上げ,貿易陶磁として日本を含む東アジア,西アジアに輸出された。…
…明代には定窯は衰退し,山西省の霍県(かくけん)窯などでわずかに仿定器の白磁がつくられたにすぎない。 一方,華南では江西省景徳鎮窯が五代,北宋の初めに白磁を焼造していたが,北宋中期には,青みをおびた青白釉の磁器を完成し,輸出陶器として国外に大量に輸出された。青白磁,インチン(影青)などと呼ばれるものであるが,胎の中に含まれた微量の鉄分が,還元炎で焼成されたために青みを帯びたのであり,厳密には白磁と呼ぶべき磁器である。…
※「景徳鎮窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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