豊岡遺跡
とよおかいせき
[現在地名]岩手町一方井 久保
七時雨山・西岳を主峰とする山陵の東麓、太田川・笈の日川によって開析された標高約四〇〇メートルの丘陵地にある。昭和三四年(一九五九)開拓による遺跡破壊を防ぐため調査され、縄文時代晩期とされる。石囲炉二基が検出され、一基は石囲い中央部に埋甕をもち、使用している石は八個である。土器は完形品を含めて多数出土している。器種としては粗製深鉢のほか、精製深鉢・浅鉢・高台付鉢・壺・皿・筒状土器がある。高さ五センチの袖珍土器(カップ形)の体部に、刻線で人の顔が描かれている。土器は粗製で他の文様はいっさいなく、先の細い用具で素朴な筆致で顔の輪郭・目・口を線で表現している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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