大都市において、市街地の周辺に成立し、都心の機能を代替する副次的な中心をいう。大衆大量輸送機関に支えられた大都市では、郊外住宅地の発展により、通勤距離が拡大し、通勤交通の接続点などに、鉄道沿線の地域を後背地とした繁華街が成立する。これが副都心とよばれる。東京の新宿、渋谷、池袋、大阪の梅田、天王寺などは代表的なものである。これらがとくに発展したのは第二次世界大戦後であり、それには都市の巨大化、郊外住宅地や郊外交通網の発達が条件となっている。副都心は主として買物街、社交娯楽街、飲食店街などからなり、新宿のようにビジネス機能を備えるに至ったものもある。東京の都市圏が拡大するに伴い、さらに上野・浅草、錦糸町・亀戸、大崎、臨海副都心が副都心として整備されるようになった。1976年(昭和51)の首都圏整備計画において、東京への一極集中型の都市構造を改め、業務管理機能を分散するために業務核都市となった五つの都市域の中で浦和・大宮、千葉、横浜には、それぞれさいたま新都心、幕張新都心、みなとみらい21が建設された。これらは一般に新都心とよばれるが、この新都心ということばは大都市地域内の大規模な都市開発、再開発地区に対して使用される。新都心は業務・管理、商業・サービス機能だけではなく、住宅やレクリエーション施設も含む。
[山鹿誠次・菅野峰明]
『班目文雄著『江戸東京・街の履歴書(3)新宿西口・東口・四谷あたり』(1991・原書房)』▽『矢田晶紀著『東京・都市圏・日本はこう変わる――「都市戦略」の時代がやってきた』(1991・日本実業出版社)』▽『尾島俊雄著『異議アリあり!臨海副都心』(1992・岩波書店)』▽『平本一雄著『臨海副都心物語――「お台場」をめぐる政治経済力学』(中公新書)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…駅周辺には東口に西武に続くパルコ,三越,西口に東武,丸井などの大型店舗があり,そのほかきわめて多くの小売店が集中している。1954年地下鉄丸ノ内線,74年には有楽町線(これはさらに外郊へ延長)が開通し,ほかの私鉄沿線の宅地開発も進んで新宿に次ぎ,渋谷と並ぶ副都心へと急成長した。1960年以後東京都による池袋の副都心地域指定もあり,戦後は戦犯者収容所であったもと巣鴨刑務所(のち東京拘置所),東京学芸大学付属小学校,芝浦工大高校,国鉄東京工事局などを移転させ,現代的都市づくりが進められた。…
…東京湾岸沿いの城東・城南地区および隅田川沿いの城北地区は,戦前の東京の工業の中心であったが,一方,千代田,中央,文京,新宿などの都心区では都心業務活動などと結びついた都市型の出版・印刷業が発達している。また60年に決まった〈新宿副都心建設計画〉により,新宿西口の淀橋浄水場跡地付近には東京都庁舎をはじめ,ホテル,オフィスビルなど30階以上の超高層ビルが建ち並び,新都心を形成している。下町地区では明治以後も継続的に海岸部の埋立てが行われ,とくに61年以降,東京港域内で大規模埋立事業が進められ,さらに86年に着工された東京臨海副都心計画によって90年代にレインボーブリッジが完成し,東京臨海交通〈ゆりかもめ〉,東京臨海高速鉄道が開通した。…
…住宅地区内には日常品・日常サービス業の集まる住宅地商店街(周辺商店街)が所々に形成されたり,その種の商店が散在している。大都市になると住宅地区内の一部に都心業務を代替する副都心satellite centerが形成されることがある。東京を例にとれば,丸の内の業務地区,日比谷,有楽町の娯楽地区,日本橋,京橋,新橋の中心商業地区,人形町から箱崎にかけての卸売商業地区,隅田川両岸の墨東(江東)工業地区,蒲田,六郷の南部工業地区があり,工業地区を除いたものが東京のCBDとなる。…
…スラム・クリアランスや都心再開発が都市更新urban renewalである。なお,大都市になると住宅地区内の一部に都心業務を代替する副都心satellite centerが形成されることがある。【田辺 健一】。…
※「副都心」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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