日本歴史地名大系 「福崎新田」の解説 福崎新田ふくざきしんでん 新潟県:中頸城郡頸城村福崎新田[現在地名]頸城村北福崎新田(きたふくざきしんでん)保倉(ほくら)川北岸に位置し、西に上神原(かみかなはら)新田がある。東西に松之山(まつのやま)(現東頸城郡松之山町)への道と南江(みなみえ)用水が走る。正保元年(一六四四)に開発のなった大(おおぶけ)新田のうち。正保国絵図に福崎村とあり、高一五一石余。天和三年郷帳によれば高二三八石四斗余であった。 福崎新田ふくざきしんでん 大阪府:大阪市港区福崎新田[現在地名]港区福崎一―三丁目市岡(いちおか)新田の南西側に位置し、南東側は尻無(しりなし)川の河口部。もとは市岡新田の寄洲であったが、文政一二年(一八二九)大坂京町堀(きようまちぼり)(現西区)の福崎孫四郎が開発、天保六年(一八三五)に完成。面積は三八町八反余(西成郡史)。天保一〇年大坂湊口新田細見図によると、当時菟原(うはら)郡御影東明(みかげとうみよう)村(現神戸市東灘区)の柴屋孫四郎の所有。 福崎新田ふくさきしんでん 三重県:桑名郡木曾岬村福崎新田[現在地名]木曾岬村三崎(みさき)白鷺(はくろ)川の北岸、西に雁(がん)ヶ地脇付(じわきづけ)新田、東に豊崎(とよさき)新田がある。元禄四年(一六九一)の開発であるが、正徳四年(一七一四)の災害で亡所となった。元文四年(一七三九)内田与四郎が再開発し、寛保二年(一七四二)加藤太左衛門がこれを完成した(木曾岬村史)。 福崎新田ふくざきしんでん 新潟県:中頸城郡中郷村福崎新田[現在地名]中郷村福崎新田北国街道に沿い、南は稲荷山(いなりやま)新田、北は片貝(かたかい)村に続く。天和三年郷帳では高九〇石七斗余、うち野高二斗とある。元禄郷帳では片貝村枝郷と記される。旧高旧領取調帳では高九九石六斗余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by