豊竹肥前掾(読み)とよたけ・ひぜんのじょう

朝日日本歴史人物事典 「豊竹肥前掾」の解説

豊竹肥前掾

没年:宝暦8.1.5(1758.2.12)
生年:宝永2(1705)
江戸中期,義太夫節太夫通称新右衛門。大坂松屋町の商家の出身。幼少のころから音曲に親しみ,豊竹上野少掾(越前少掾)のもとへ入門,初名豊竹新太夫。豊竹座の中堅太夫として活躍しはじめた享保18(1733)年,退座して江戸に下り,外記座に出演。元文3(1738)年には豊竹肥前掾藤原清正を受領し,江戸堺町(中央区日本橋芳町,人形町)に肥前座を開場する。肥前掾は太夫,興行主,劇場主を兼務し,江戸における義太夫節流行の基礎を作った。延享2(1745)年,無届け興行の科で失脚するが間もなく再興。晩年,門弟の伊勢太夫に肥前掾を譲り,杉山丹後掾を名乗ろうとするがうまく行かず,一時宮内とも名乗るが,もとの肥前掾に戻った。俳諧もたしなみ,俳名は蛙井。<参考文献>祐田善雄浄瑠璃史論考』

(桜井弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「豊竹肥前掾」の解説

豊竹肥前掾 とよたけ-ひぜんのじょう

1705-1758 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
宝永2年生まれ。大坂の人。義太夫節の豊竹越前少掾(えちぜんのしょうじょう)の弟子。初名は新太夫。元文3年肥前掾を受領し,江戸堺町に肥前座をおこす。劇場主,座元,太夫の3役をかね,義太夫節を江戸に普及させた。宝暦8年1月5日死去。54歳。通称は新右衛門。俳号は蛙井(あせい)。俳書に「かくれんぼ」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android