座元(読み)ザモト

デジタル大辞泉 「座元」の意味・読み・例文・類語

ざ‐もと【座元/座本】

江戸時代の劇場興行で、江戸では興行権所有者、京坂ではその名義を借りて興行する興行責任者。櫓主やぐらぬし太夫元たゆうもと。→名代なだい

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精選版 日本国語大辞典 「座元」の意味・読み・例文・類語

ざ‐もと【座元・座本】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 江戸時代以後、劇場興行をとりしきること。また、その人。興行責任者。京坂では一座の重要な地位にある俳優が当たることが多く、江戸では劇場の持主が当たった。
    1. [初出の実例]「見る人もまたうき立、けふは其座本、明日は此太夫本」(出典:浮世草子・世間胸算用(1692)三)
  3. 江戸時代、諸国におかれた盲人の仕置屋敷の支配頭。

ぞ‐げん【座元】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「ざげん」とも ) 禅宗僧職首座(しゅそ・しゅざ)。首座の僧堂での座位元首であるところからいう。現在では首座職を終わった者をさす。
    1. [初出の実例]「正法眼蔵無上大法を正伝せること、霊山に摩訶迦葉尊者の座元なりしがごとし」(出典:正法眼蔵(1231‐53)仏性)

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改訂新版 世界大百科事典 「座元」の意味・わかりやすい解説

座元(本) (ざもと)

江戸時代の歌舞伎の興行権を持つ者の称。櫓主,太夫元ともいう。江戸では,1624年(寛永1)に猿若(中村)勘三郎が幕府に願い出て,中橋での興行を許されたのが座元の始まりで,以後,都伝内,村山又三郎,山村小兵衛長太夫),河原崎権之助,森田太郎兵衛,玉川新十郎がそれぞれ劇場を立てて座元となった。57年(明暦3)の江戸大火後,中村勘三郎市村宇(羽)左衛門,森田勘弥山村長太夫の4人に限り座元として興行することが許されたが,1714年(正徳4)の江島生島事件で山村長太夫が官許を取り消され,山村座は廃絶した。以来,中村座の中村勘三郎,市村座市村羽左衛門,森田座の森田勘弥の3座の座元に限って幕府は興行権を与え,その世襲を制度として公認した。座元は金主から資金の提供を受けて役者の座組をつくり,興行上の一切の責任を負った。小芝居は別として,〈江戸三座〉といわれた三座の制が幕末まで守られ,座元の権勢は芝居関係者のなかにぬきんでていたという。1872年の府令により,ほかに興行を許された者が出るに及んで世襲の制度は崩れ,その特権は失われた。なお,上方には〈座本〉といわれるものがある。江戸と性格が異なり,興行権の所有者〈名代(なだい)〉と,座頭役者(のちには名義ばかりのものになった)で興行師を兼ねた座本(のちにその職掌は仕打(しうち)が代行)とは区別されていた。劇場の所有者を〈芝居主〉と呼び,この3者で興行主体を形づくった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「座元」の意味・わかりやすい解説

座元
ざもと

江戸時代の歌舞伎(かぶき)の興行権をもつ者の称で、太夫元(たゆうもと)、櫓主(やぐらぬし)ともいった。江戸では、1624年(寛永1)に猿若勘三郎が許可を得て、中橋で興行を始めたのが座元の始まりである。1657年(明暦3)以後座元の数を4人に制限したが、1714年(正徳4)に至って山村座の山村長太夫が脱落し、中村座の中村勘三郎、市村座の市村羽左衛門(うざえもん)、森田座の森田勘弥(かんや)の3座元に限って永久興行の権利と世襲の制度を定めた。座元は金主から資金の提供を受けて俳優の座組みをつくり、興行を行った。近代に入り、1872年(明治5)の府令によって、東京に10座の興行が許可され、座元の門閥世襲の制度は崩れた。さらに、1900年(明治33)の改正で、座主以外の者にも興行が許されることになり、座元の興行権は全面的に廃止された。上方(かみがた)では座本と書き、幕府の許可を受けている興行権の所有者(名代(なだい))と、役者で興行師を兼ねた性格の座本(のちには形式化して名義上のものになってしまった)とが区別されていた。

[服部幸雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「座元」の意味・わかりやすい解説

座元
ざもと

江戸時代の劇場の所有者で,櫓主 (やぐらぬし) ともいい,上方では座本と書く。江戸では明暦3 (1657) 年以後,中村,山村,村山,森田の4座,正徳4 (1714) 年からは,中村,村山 (市村) ,森田の3座に限って,所有権と興行権を与えられた。世襲制であったので,その座元たる代々の中村勘三郎,市村羽左衛門,森田勘弥は非常な権勢をもち,常にだんなと敬われた。なお興行不振の際には控櫓制度があり,河原崎座の河原崎権之助,都座の都伝内,桐座の桐長桐も座元の名で呼ばれる。明治には興行制度がくずれたので,座元は単に劇場所有者の名になった。京阪における座本は劇団代表者で,初期には重要な位置の俳優がこれにあたったが,のち子役や女方の名が据えられて,有名無実となった。

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世界大百科事典(旧版)内の座元の言及

【歌舞伎】より

… 興行の機構は,江戸と上方とでは違いがあった。江戸では,興行権を与えられた者(中村勘三郎,市村羽左衛門,森田勘弥)を〈座元〉(太夫元)といい,世襲制であった。〈座元〉は興行権の所有者であり,実質上の興行師であり,劇場の持主でもあった。…

【興行】より

… 江戸時代に入ると歌舞伎や人形浄瑠璃の興行は,江戸でも上方でも共通に幕府から興行権を与えられたもののみが行うことができるというきびしい仕組であった。江戸を例にすると宮地芝居を別として,歌舞伎では1714年(正徳4)9月以降幕末まで中村座の中村勘三郎,市村座の市村羽左衛門,森田座の森田勘弥の3人の座元に限って,歌舞伎を興行する権利が官許され,興行権の象徴である〈(やぐら)〉をあげることができた。この3座を〈江戸三座〉と呼んでいる。…

【太夫元】より

座元(座本)の別称。江戸時代の歌舞伎興行権の所有者。…

※「座元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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