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座元 ざもと

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

座元
ざもと

江戸時代の劇場の所有者で,櫓主 (やぐらぬし) ともいい,上方では座本と書く。江戸では明暦3 (1657) 年以後,中村,山村,村山,森田の4座,正徳4 (1714) 年からは,中村,村山 (市村) ,森田の3座に限って,所有権と興行権を与えられた。世襲制であったので,その座元たる代々の中村勘三郎,市村羽左衛門森田勘弥は非常な権勢をもち,常にだんなと敬われた。なお興行不振の際には控櫓制度があり,河原崎座の河原崎権之助,都座の都伝内,桐座の桐長桐も座元の名で呼ばれる。明治には興行制度がくずれたので,座元は単に劇場所有者の名になった。京阪における座本は劇団代表者で,初期には重要な位置の俳優がこれにあたったが,のち子役や女方の名が据えられて,有名無実となった。

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デジタル大辞泉の解説

ざ‐もと【座元/座本】

江戸時代の劇場興行で、江戸では興行権の所有者、京坂ではその名義を借りて興行する興行責任者。櫓主(やぐらぬし)。太夫元(たゆうもと)。→名代(なだい)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

座元
ざもと

江戸時代の歌舞伎(かぶき)の興行権をもつ者の称で、太夫元(たゆうもと)、櫓主(やぐらぬし)ともいった。江戸では、1624年(寛永1)に猿若勘三郎が許可を得て、中橋で興行を始めたのが座元の始まりである。1657年(明暦3)以後座元の数を4人に制限したが、1714年(正徳4)に至って山村座の山村長太夫が脱落し、中村座の中村勘三郎、市村座の市村羽左衛門(うざえもん)、森田座の森田勘弥(かんや)の3座元に限って永久興行の権利と世襲の制度を定めた。座元は金主から資金の提供を受けて俳優の座組みをつくり、興行を行った。近代に入り、1872年(明治5)の府令によって、東京に10座の興行が許可され、座元の門閥世襲の制度は崩れた。さらに、1900年(明治33)の改正で、座主以外の者にも興行が許されることになり、座元の興行権は全面的に廃止された。上方(かみがた)では座本と書き、幕府の許可を受けている興行権の所有者(名代(なだい))と、役者で興行師を兼ねた性格の座本(のちには形式化して名義上のものになってしまった)とが区別されていた。[服部幸雄]

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