日本歴史地名大系 「象眼町」の解説 象眼町ぞうがんまち 石川県:金沢市金沢城下第六連区象眼町[現在地名]金沢市笠市町(かさいちまち)・安江町(やすえちよう)鍛冶(かじ)町の東に並行する通りに沿い一部は両側町、一部は片側町。南は前田将監下屋敷、北は堀川笠市(ほりかわかさいち)町に至る。寛文一〇年(一六七〇)の九十歳者書上帳(加越能文庫)に「象眼町日用取甚七郎」とみえ、元禄三年(一六九〇)の金沢火災記(石川県災異誌)にも象眼町とある。「ぞうがね町」とも俗称するが、後世の人が誤って称したものという(加能郷土辞彙)。町名は象眼師の拝領地にちなむ。象眼師は鐙象眼師の略語で、加賀藩では白銀師と区別していた。辻・勝木・小市・国永を名乗る諸工がおり、鐙をはじめ鉄象眼をする者をいった。 象眼町ぞうがんまち 福島県:会津若松市若松城下象眼町[現在地名]会津若松市表町(おもてまち)南(みなみ)町竪(たて)町の南に並び、東は年貢(ねんぐ)町より西は中横(なかよこ)町に至る三条の通りを象眼町と総称した。いつ頃か定かでないが、象眼師が多く住んでいたための町名で、化政期には足軽や同心が多く住んでいた。北端の通りを弓(ゆみ)丁といい、長さ四町五二間余・幅九尺、家数八九。この町の北側には弓を練習する的場があった。弓丁の南に並ぶのが鉄炮(てつぽう)町で、長さ四町五四間余・幅九尺余、家数九七。鉄炮組の足軽が多くいたのでこの名がついた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報