日本歴史地名大系 「賞泉寺」の解説 賞泉寺しようせんじ 新潟県:東頸城郡安塚町安塚村賞泉寺[現在地名]安塚町安塚 内山直峰(のうみね)城跡と二ッ城(ふたつちよ)の砦跡との間の尾根にあたる百間馬場(ひやつけんばば)の麓にあり、西面して牧野(まきの)峠に対している。曹洞宗、万盛山と号し、もと顕聖(けんしよう)寺(現浦川原村)末寺。本尊は釈迦牟尼仏木像。寺伝によると明応七年(一四九八)直峰城主吉田周防入道英忠が開山黙室周言に帰依し殿堂を寄付。三世長夫宛天文一五年(一五四六)一一月一五日付の二通の吉田英忠寺領寄進状(賞泉寺文書)によると、一通は長尾能景・為景ならびに父祖菩提のために「五十公之郷小黒之保安塚之中、福寿寺山屋敷・畠、十王堂屋敷之北内藤内山畠二枚并大海寺山屋敷・畠、尼寺々者山斗」を寄進、一通は小黒(こぐろ)保のうちの「下安塚」「中安塚」と「神矢之保」のうちの「上横角名」「中名」を寄進している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by