安塚村(読み)やすづかむら

日本歴史地名大系 「安塚村」の解説

安塚村
やすづかむら

[現在地名]壬生町安塚・おもちゃのまち一―五丁目・緑町みどりちよう二―四丁目・幸町さいわいちよう一―四丁目・いずみちよう若草町わかくさちよう

姿すがた川右岸に立地する広域の村で、西は上田かみだ村・小林こばやし村など、対岸東は上古山かみこやま村・下古山村(現石橋町)。壬生と宇都宮を結ぶ奥州中街道が通る。村内の長田ながだ藤岡ふじおかは少なくとも近世後期には枝郷として把握されていた。永仁三年(一二九五)五月五日の覚誉寄進状(輪王寺文書)に「深町壱町在下野国犬飼郡上長田郷内」とみえ、同郷内の一町、所当銭五貫六〇文の地を日光山に寄進している。「那須記」に安塚城とあり、城主石川長助で宇都宮氏の配下とある。なお宇都宮氏旧臣姓名書に川辺・大久保・鈴木氏の名がみえる。

慶安郷帳には宇都宮藩領とあり、田三〇〇石余・畑一九六石余。寛文四年(一六六四)の同藩領知目録にも村名が記載される。貞享二年(一六八五)の村明細帳(大久保和文書)によれば、承応三年(一六五四)同藩の検地があり、高七五四石余のうち田三九二石余・畑三六一石余、反別一四〇町五反余のうち田四九町六反余・畑九〇町九反余。また寛文一一年より延宝六年(一六七八)までに新田開発があり、田七石余・三町二反余、畑八四石余・三九町余となっている。小物成として柴山運上・野銭・伝馬銭・夫丸金・茶銭・漆銭などがあった。元禄一一年(一六九八)には旗本宮城・横山・天野の三給となり(「川除普請出入裁許覚」同文書)元禄郷帳でも同様。寛保二年(一七四二)宮城分が幕府領となり、幕府領一六〇石余・天野領三〇五石余・横山領四〇六石余(寛保三年「川除普請積帳」大久保重義文書)。宝暦七年(一七五七)には旗本宮城・横山・天野の三給(「助郷役出入訴状」大久保和文書)


安塚村
やすづかむら

[現在地名]安塚町安塚

じよう山南西麓にある。北流する小黒おぐろ川の両岸にまたがって位置し、北は松崎まつざき村、東はじようこしを越えて坊金ぼうがね村、南は上方かみがた村、西は牧野まきの村。牧野村から小黒川を渡り、坊金村を経て関東へ通ずる街道や小黒川と支流船倉ふなくら川を遡上する松之山まつのやま街道の要に位置し、交通の要衝であった。南北朝期に風間氏の居城であった直峰のうみね城跡が城山にあり、村域内に門前沖もんぜんおき古町ふるまち家中やなかまち二ッ城ふたつちよ倉刈門くらかりもんなどの地名が残り城下町としての役割を果してきた。道沿いには一列に隙間なく敷かれた敷石が残る。天文一五年(一五四六)一一月一五日の賞泉しようせん寺長夫和尚宛二通の吉田英忠寄進状(賞泉寺文書)に「五十公之郷小黒之保安塚之内」とみえ、下安塚・中安塚の記載がある。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図では直峰城の山麓に城下町の体裁をもって描かれ「直嶺分諸越彦七郎分安塚町 上」とあり、本納七〇石一斗二升・縄高一三〇石三斗、家二三軒・一〇一人。


安塚村
やすづかむら

[現在地名]鈴鹿市安塚町・地子じし

寺家じけ村の西南に位置する。集落は河曲郡条里の南端、水田中にあるが、南はやや高く畠作地帯となる。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳には「五百七拾石五斗弐升 安塚村」として現れる。慶安郷帳(明大刑博蔵)から天保郷帳の間に村高が一〇一・六三三石増加しているのは、この間に新田が成立したのであろう。江戸時代を通じて亀山藩領。


安塚村
やすづかむら

[現在地名]川島町安塚

角泉かくせん村の北西に位置する。田園簿では田高二二石余・畑高五石余、川越藩領。寛文四年(一六六四)の河越領郷村高帳では高四六石余、反別は田七町四反余・畑二町二反余。以後の領主の変遷は上伊草かみいぐさ村に同じ。用水は中山なかやま用水の分水を利用し、中山道桶川宿の加助郷を勤めていた(鈴木家文書)江川えがわ悪水が北東方、飯島いいじま村より流れ来て、東方安藤あんどう川に入る。鎮守は稲荷日吉山王合祀社、ほかに村民持の地蔵堂がある(風土記稿)


安塚村
やすづかむら

[現在地名]鉾田町安塚

北浦の東岸に位置し、北は鎌田かまた村。北浦に面する交通の要所にあったため、古くから周辺諸領主が進出し、不安定な支配が続いたが、室町末期から烟田氏の支配を受けるようになり(「烟田幹当所領十六箇村覚書」烟田文書)、烟田旧記(続常陸遺文)永禄一二年(一五六九)三月に「中居殿廿八被越て安塚の御いけん大方任せ被下候、りうしやう由事候」とある。また同書天正一五年(一五八七)正月二日には「安塚地見始彼此田はかり」ともみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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