賤ヶ岳の七本槍(読み)シズガタケノシチホンヤリ

デジタル大辞泉 「賤ヶ岳の七本槍」の意味・読み・例文・類語

しずがたけ‐の‐しちほんやり〔しづがたけ‐〕【賤ヶ岳の七本槍】

賤ヶ岳の戦いで、羽柴秀吉軍にあって活躍した七人武将加藤清正福島正則加藤嘉明平野長泰脇坂安治片桐且元糟屋武則

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賤ヶ岳の七本槍」の意味・わかりやすい解説

賤ヶ岳の七本槍
しずがたけのしちほんやり

天正 11 (1583) 年4月 21日,近江国賤ヶ岳豊臣秀吉柴田勝家,佐久間盛政らと戦った際 (→賤ヶ岳の戦い ) ,秀吉近習勇名をはせた加藤清正福島正則加藤嘉明,平野長泰,脇坂安治,糟屋武則,片桐且元の7人をいう。彼らはのち大名に出世した。

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世界大百科事典(旧版)内の賤ヶ岳の七本槍の言及

【賤ヶ岳の戦】より

…敗報を聞いて秀吉は急ぎ軍を返し,21日に盛政を賤ヶ岳に破った。秀吉近臣の奮戦は世に賤ヶ岳の七本槍(福島正則,加藤清正,加藤嘉明,脇坂安治,片桐且元,平野長泰,加須屋真雄)として著名である。勝家も敗走して北ノ庄にもどり,秀吉の軍に囲まれて城に火を放ち北ノ庄で夫人(小谷方)とともに自刃した。…

【脇坂安治】より

…安土桃山時代の武将。近江国浅井郡脇坂に生まれる。はじめ甚内を称した。明智光秀に仕え,のち豊臣秀吉に属し,1583年(天正11)賤ヶ岳の戦における奮戦により,賤ヶ岳七本槍の一人として賞される。85年従五位下中務少輔に叙任,淡路洲本城3万石となる。小牧・長久手の戦,九州征伐,小田原征伐に戦功をあげる。文禄・慶長の役では水軍として朝鮮に出動。関ヶ原の戦では豊臣方より徳川方に寝返り,1609年(慶長14)伊予大洲5万3000石を襲封。…

※「賤ヶ岳の七本槍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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