日本歴史地名大系 「赤江郷・赤江庄」の解説
赤江郷・赤江庄
あかえごう・あかえのしよう
国衙に収公されて消滅したかにみえた赤江保は、鎌倉時代末期に至って再び復活してくる。延慶元年(一三〇八)頃と推定される九月二六日の長井貞秀書状(金沢文庫文書)に、「南方御恩事ハ、南方料所出雲国赤江保本主返給候了、為其替周防国竈戸関被進候キ、其後ハ自京都も不蒙仰候之間、不審存候」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報