宮内省所属の令外官。令制には大蔵省所属の掃部司(かにもりのつかさ)/(そうぶし)と,宮内省所属の内掃部司(ないそうぶし)が存在した。掃部司は,正・佑・令史各1人,掃部(かにもり)(伴部)10人等の職員からなり,朝廷の諸行事のための薦(こも)・席(むしろ)・牀(とこ)・簀(すのこ)・苫(とま)・簾(すだれ)の製作と鋪設,蒲・藺・葦等の材料の栽培・調達,内裏外の宮内の洒掃(内裏内は主殿寮の所管)をつかさどる。内掃部司は,職員は,正・佑・令史各1人,掃部30人等で,供御のための薦以外のものおよび狭畳(たたみ)の製作と鋪設,蒲・藺・葦等の材料のことをつかさどる。820年(弘仁11)に,冗官廃止のために掃部司,内掃部司は統合されて,宮内省所属の掃部寮とされた。掃部寮の職員は,《延喜式》では頭・助・允・大少属(主典)各1人,史生4人,掃部8人,作手8人で,縫製や続麻には宮人も使用された。《延喜式》には神仏事,儀式,政務等の鋪設,天皇以下の座の規格,藺田1町(山城国)・蔣沼(こもぬ)190町(河内国茨田郡)等の経営と資材の調達,鋪設物の製作功程(工人の作業の程度)が定められている。令制以前は掃守氏(伴造)が掃除事をつかさどっていた。中世には頭を外記の中原氏が相承した。また,職掌は宮中の装束が中心となっていった。官司名の和訓は《和名抄》に〈かむもりのつかさ〉とある。〈かむもり〉は後に転訛して〈かにもり〉〈かもん〉と訓じた。官司は,平安宮では大蔵省の正蔵院の南,内蔵寮の西にある。後宮には掃司があり,斎宮にも掃部司があり,春宮坊は主殿署が殿掃部を率いて掃部のことを兼ねる。
→掃部
執筆者:石上 英一
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掃部は「かにもり」「かむもり」「かもり」ともよむ。養老職員令(ようろうしきいんりょう)の大蔵省の被官に掃部司があり、鋪設(ふせつ)、洒掃(さいそう)(水を打ち掃(は)き清めること)など、すなわち朝廷諸行事の設営をつかさどった。820年(弘仁11)に宮内省の内掃部司と合併され、宮内省被官で掃部寮となり、職員は主殿寮と同じく頭(かみ)・助(すけ)・允(じょう)・大属(だいさかん)・少属各1人を置き、その下に掃部・使部などが所属した。延喜(えんぎ)式部式によると史生も所属した。頭の相当位は従(じゅ)五位下。延喜掃部寮式に設営や資材の調達についての詳細な規定がある。
[柳雄太郎]
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