赤田城跡(読み)あかだじようあと

日本歴史地名大系 「赤田城跡」の解説

赤田城跡
あかだじようあと

[現在地名]刈羽村赤田町方

赤田町方あかだまちがた集落の東、曾地そち峠へ通じる道の入口付近、標高約一五四メートルの独立峰にある。西の山麓専徳せんとく寺から大手の道が本丸跡に通じる。本丸跡からは日本海・米山よねやま方面を眺望できる。本丸は東西四三メートル、南北三七メートル。西端の虎口の下に東西三五メートル、南北二三メートルの二ノ丸があり、赤田町方集落に向かって四条の空堀と郭群・土塁が築かれている。本丸跡の北西には東福とうふく院に至る道が通じる。南は数段の郭と削平地が山麓まで続く。赤田町方は上町かみまち中町なかまち下町しもまち裏町うらまち中屋敷なかやしき向町むかいまち・やぐら下屋敷しもやしきとりの地字や刑部屋敷ぎようぶやしきうますての通称地名があるが、館跡の所在は不明。

伝えでは、嵯峨天皇の皇子源融の末孫渡辺源次兵衛定が赤田保の地頭職に任ぜられ、赤田の地に拠点をおいて赤田氏を称したが、のち斎藤氏に滅ぼされたという(刈羽村物語)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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