刈羽村(読み)かりわむら

日本歴史地名大系 「刈羽村」の解説

刈羽村
かりわむら

[現在地名]刈羽村刈羽

西は刈羽砂丘を背にし、東は別山べつやま川を挟んで大塚おおつか村、南は割町わりまち新田、北は十日市とおかいち雪成ゆきなりに接する平坦地。集落西方の字船丸ふなもうるの地はもと湿地帯の低地で、寺尾てらお善照ぜんしよう寺は一時期この付近にあった。寛正二年(一四六一)六月一二日の斎藤清信田地売券写(善照寺文書)に「船丸善照寺之住持増珎」とみえる。これより以前、享徳三年(一四五四)六月一五日の裏打紙端裏書のある西方秀義寄進状(同文書)によると、船丸の地は善照寺に寄進されている。


刈羽村
かりわむら

面積:二六・五三平方キロ

西は日本海に続く刈羽砂丘、東は山地で、中央部を南流する鯖石さばいし川支流の別山べつやま川が沖積平野を形成する。集落は砂丘東麓と別山川の自然堤防上および東の山地西麓の三群に分けられる。西と南は柏崎市、北と東は西山にしやま町。東方に飛地があり、東は長岡市、北は西山町、西と南は柏崎市と接する。道は砂丘東麓に旧北国街道がほぼ南北に縦貫する。途中刈羽から東へ分岐する道は、十日市とおかいち・西山町五日市いつかいちを経由して長岡へ通じる。刈羽には字船丸ふなもうるの地名が残ることから、砂丘地帯や沖積平野部の開発以前には舟運があったことも考えられる。


刈羽村
かりはむら

[現在地名]村松町刈羽

まき川を挟んで青橋あおはし村・中野橋なかのはし村の西方にあたる。集落は西の丘陵の裾野沿いにある。正保国絵図に苅羽村とあり、高四〇七石余、村松藩領。字高田たかだはもと高田新田と称し、正保三年(一六四六)に村上町奉行であった赤沢常知とその子常門が村松藩に召抱えられ、中野橋村に移り住んで五町一反余を開田したもので、中野橋村の飛地である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「刈羽村」の意味・わかりやすい解説

刈羽〔村〕
かりわ

新潟県中部,柏崎平野北部にあり,柏崎市に囲まれた村。 1956年中通村一部,59年二田村の一部を編入。刈羽米の産地モモ野菜栽培も行われる。 JR越後線,国道8号線,116号線,352号線が通る。面積 26.27km2人口 4380(2020)。

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