赤神村(読み)あかがみむら

日本歴史地名大系 「赤神村」の解説

赤神村
あかがみむら

[現在地名]松前郡松前町字赤神

近世から大正一二年(一九二三)まで存続した村。近世は西在城下付の一村で、赤神川流域を占める。南方札前さつまえ村、西は日本海。シャクシャインの戦に関連して「津軽一統志」に「あかかみ 家十八軒」とみえる。元禄郷帳に「あか神村」、享保十二年所附には赤神村と記される。天保郷帳は赤神村とする。

天明六年(一七八六)の「蝦夷拾遺」では家一〇戸たらず、二〇余人、木村「蝦夷日記」の寛政一〇年(一七九八)五月一五日の記事には「四軒、庄や武兵衛、夷祠」、制札二枚とある。文化六年(一八〇九)の村鑑下組帳(松前町蔵)によれば名主武兵衛・年寄市右衛門。家数五・人数二〇。制札二、船数六(磯舟)、馬二五。上納なし。


赤神村
あかかみむら

[現在地名]門前町赤神

藤浜ふじはま村の南西、日本海に面した海浜と後背傾斜地に立地する漁村。赤褐色の岩肌が続く海岸は猿山さるやま岬を北に遠望し景勝の地である。正保郷帳では高三五石余、田方一町余・畑方一町三反。承応三年(一六五四)の村御印では同高、免四ツ九歩であった(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高四〇石、免五ツ一歩、小物成は山役六九匁、猟船櫂役二二五匁(うち一二〇匁出来)、外海舟櫂役二五匁・刺鯖役一〇匁、地国並他国人猟役三三匁(出来)であった(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む