越荷方役所跡(読み)こしにかたやくしよあと

日本歴史地名大系 「越荷方役所跡」の解説

越荷方役所跡
こしにかたやくしよあと

[現在地名]下関市南部町

赤間神宮のある紅石べにいし山の西南方向に位置し、関門かんもん海峡にほぼ近接して建てられた萩藩越荷方の役所。

越荷方はもともと萩藩の撫育方によって設けられた倉庫兼銀行のごときもので、他国船が運んでくる商品(越荷)抵当にとって金融を営み、依頼によって倉敷料の徴収や、藩内の米その他の産物の入札売却も行った。発足当時、撫育銀五〇貫であったが、越荷方業務の盛況によってさらに五〇貫を投資、享和元年(一八〇一)には萩藩所帯方からも一〇〇貫の出資があり、撫育・所帯共同経営となった。天保一一年(一八四〇)に萩藩はさらに越荷方を拡張し、当地に越荷方役所を設置した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む