日本歴史地名大系 「越路村」の解説 越路村こいじむら 鳥取県:鳥取市旧邑美郡地区越路村[現在地名]鳥取市越路(こえじ)美和(みわ)村・古郡家(ここおげ)村の南の大路(おおろ)川上流、八坂(はつさか)山南東山裾に位置する。西は円通寺(えんつうじ)越を越えて八上(やかみ)郡円通寺村、南西は道祖神(さいの)乢越を越えて八上郡稲常(いなつね)村(現郡家町)に通じる。もとは恋路村と記したが、元禄国絵図・元禄郷帳作成時に越路に改められた(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。永享二年(一四三〇)九月一九日の願文(熊野那智大社文書)に、医王(いおう)山の先達松本栄尊引の旦那として「越路」の道照の名がみえる。藩政期の拝領高は一八〇石余、本免六ツ。 越路村こいじむら 福岡県:築上郡椎田町越路村[現在地名]椎田町越路高塚(たかつか)村の西、坂本(さかもと)村の北西に位置し、岩丸(いわまる)川北岸に立地する。コシジとも訓じる(元禄豊前国高帳)。文明一七年(一四八五)九月の香春社大宮司家種申状(香春宮御鎮座由来記/大日本史料八―一七)によれば、「築城郡越地村」の牛丸名八町と是正名八町はもと香春(かわら)宮(現香春町)領であったが、牛丸名は佐田(宇都宮)氏知行地となり、是正名の土貢だけが一一月・一二月祭礼費用に充てられていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by